『ナースの卯月に視えるもの』(秋谷りんこ)が文春文庫より絶賛発売中です。 創作大賞2023(note主催)で「別冊文藝春秋賞」を受賞した本作。その誕生の背景を、秋谷さんが綴ります。
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私は、二十代から三十代にかけて十三年ほど看護師として働いていました。初めて患者さんの死と向き合ったのは、看護学生のときです。看護学部では座学のほかに病院実習があり、学生は一人ずつ患者さんを担当し、日々関わりながら学びを深めます。
ある日病院に行くと、実習担当の看護師さんが私たち学生を集めました。
「つらいことをお知らせするけど……〇〇さんが昨日の夜に急変して、亡くなりました」
それは私の担当患者さんでした。昨日まで一緒に過ごしていた患者さんが、今日にはもういない。亡くなる可能性がゼロではないことを頭では理解していたはずなのに、あまりにもショックで、その場でボロボロ泣きました。もう私にできることは何もないと打ちのめされました。もう二十年以上前のことですが、そのとき感じた痛みは今でも鮮明に覚えています。
一人前の看護師になってからも、患者さんが亡くなるたびにやるせなくて、心が深く沈みました。何度経験しても悲しみに慣れることはなく、慣れてはいけないとも思っていました。だからこそ、できる限り、患者さんの望みやQOLを大事にして看護しようと決めていました。いつ最後の別れになるかなんて、誰にもわからないのですから。
患者さんが、自分らしい生き方で人生の幕を閉じるには、どうすればいいのか。それを一緒に考えて、お手伝いすることが、終末期の看護には必要なはず――看護師の“知識”としては分かっていても、当時の私はまだまだ若者です。病棟で関わった患者さんたちは、ほとんどが年上でした。人生経験の少ない私が、人生の先輩方の苦痛など分かるものだろうか、と悩む日々が続きました。
戦争を経験し、心不全で亡くなった患者さん。残された時間が少ないなかで、私の手を握り、「あったかいね」とほほ笑んでくれたあの女性に、私はもっと何かができたのではないか。
「自分でなんとなくわかる。たぶん、そろそろだよ」。そう死期を悟っていたあの男性に、どんな言葉をかけるのが正解だったのか。
看護の基本は傾聴、つまり、患者さんの話をよく聞き、気持ちに寄り添うことだと言われています。自分なりに精一杯頑張ってきたけれど、白衣を脱げばただの若者だった私に、果たしてその役割がまっとうできているのかと常に葛藤がありました。