日本は会社の中で従業員と会社組織との間で結ぶ契約の内容も曖昧ですし、会社と会社の間の商談ですら契約書なしで話を進めることが多いでしょう。むしろ交渉の内容があらかた決まったあとで事後的に契約を交わす――つまり明文化された契約がなかったとしても、相手がウソをつかない、約束を破らないという信頼に基づいてビジネスが進められていきます。言い換えると、日本人は「言ったことはすべて守る」「発言には責任が伴う」という価値観に厳格なところがあります。
しかし現実には、社内の会議や対外的な交渉ごと、あるいは政治家の発言にしても「言った」「言わない」がいくらでも生じますし、同じ言葉でも受け取り方は人によって変わります。だからこそ契約書で交わしたことや公式な場での発言と、そうでないことを区別する国・地域のほうが世界的には多数なのではないでしょうか。少なくともジョージア人は、日本人ほど言葉に対する責任意識は高くありません。
翻って、「契約で定められていないことはいい加減にやってもかまわない」「オフィシャルな記録に残らない場での発言に責任を負う必要はない」とは日本人は思っていません。お互いウソをつかないことを前提にして、発言に対する責任を重んじる、そして契約の条文に書かれていなくてもプロとしてこだわりを持って仕事に取り組むというモラルが高い人たちで社会が構成されています。私からするとあまりにも人々の責任感が強すぎて、もう少し肩の力を抜いていいのではないかと思うほどです。
「日本は根幹がしっかりしているのです」
一般の人たちがこれほどまじめでなければ、日本の経済的な繁栄は成し得なかったでしょう。日本は根幹がしっかりしているのです。バブル崩壊後に「失われた30年」と呼ばれた停滞期があったものの、近年では改めて外国の著名な投資家も日本に注目し、高く評価した上で投資をするようになっています。
さらに驚くべき日本人の特徴は、お金にならないことにも最大限パワーを注ぐ点です。