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《追悼》桂由美さんが銀座で流した涙の理由〈独立を決心し「女性自身」特派記者として海外に…〉

2024/04/30
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 今でこそ、ほとんどの方が結婚式でウエディングドレスを着ますが、その頃は、和装での神前結婚式が主流で、ドレスを着る人はまだ全体の3%しかいなかったのです。

 でも、日本で洋装が主流となりつつあるなか、純白のウエディングドレスに憧れる花嫁はたくさん生まれるに違いない、その人たちに満足のいくドレスを作ってあげたい。そう思った私は、ブライダルの道に進むことを決めたのです。

YUMI KATSURA MUSEUMで展示されるドレス ©共同通信社

 とはいえ、当時は、母の経営する洋裁学校が学校法人になっていて、私はその後継者としても期待されていました。

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 学校法人は万一のことがあると土地、建物が国庫に没収されてしまいますから、母からは、もしブライダルと学校経営が両立しなければ学校経営を取るように言われました。

 母はもともと、女性が子育てしながら家でも働けるようにとの思いで学校経営に乗り出し、苦労しながら少しずつ大きくしてきたのです。

 そんな母の学校をつぶすわけにはいきませんから、私は店の数を増やしたり、縫製工場を自前で持つことはせずに、ライセンス契約やフランチャイズのシステムなど、どこか別の会社と組むことでリスクを最小限に抑えてビジネスを始めました。

呉服がドル箱なんです

 ブライダルをやると決めた頃、あるデパートに営業に行った時のことは今も忘れられません。

 当時は、デパートでも女性が写真などを持って行けばオーダーでウエディングドレスを作ってくれるところはあったのですが、いわゆる「ブライダルファッションコーナー」というのは全くない時代でした。

 そこで、ある老舗デパートの婦人服部長さんをご紹介いただき、「これからはウエディングドレスの時代が来ます。だから、お宅で日本初のブライダルコーナーを作りませんか」とお話に行ったのです。

 華やかなウエディングドレスがデパートに飾られていたら、女性たちもきっと憧れるに違いないという想いもありました。

 ところが、その方がおっしゃるには、「いや、うちは呉服がドル箱なんですよ」と。

 当時は、和装の結婚式がほとんどで、しかもお色直しという習慣のない時代ですから、和装か洋装かの二択なら、和装のほうが売上げが立つのです。そして、ウエディングドレスを導入するとドル箱の和装が食われてしまうかもしれない。

「自分は婦人服部長なので理解できますが、それ以前にこのデパートの社員です。だからデパート全体にプラスになることしかできないんです」と言われてしまいました。

 今もはっきり覚えていますが、デパートを出て、涙をいっぱい流しながら銀座の街を歩いていたら、ちょうど雨も降ってきて……。

 このデパートがこう言うんだったら、他にこの話をもっていってもきっと同じに違いない。

 もう、自分で店を開くしかないと、その時、心に決めたんです。たとえ3%でもウエディングドレスを着たくて困っている人がいるかもしれない、それなら自分でやろうと。

 そのために世界のブライダル事情を研究しようと、開店前に1年間海外視察の旅にでかけました。