長年マスコミ業界の最前線で活躍した大宅壮一氏。
学生時代は、家庭の事情で一日おきに学校へ通っていたそうです。隔日登校は許してもらったものの、米騒動のときに煽動演説をしたのがばれ、中学校を追い出されてしまいました。
後半は、中学中退後からいかに戦中・戦後を生きたのかを綴ります。

出典:文藝春秋 1965年2月号「大宅壮一ができ上るまで――マスコミ生活50年の記」

前編〈「駅弁大学」「恐妻」など数々の新語を生み出したマスコミの大家 大宅壮一ができ上がるまで〉の続き

さっぱりの器械体操

 ところで、その頃、中学を追いだされると困ることがある。一つは上の学校に進むことができないことだ。上に進めないと徴兵検査を受けなければならず、徴兵にとられるともう勉強するチャンスがなくなる。そこで私は中学卒業資格をとるために、徳島中学まで出かけて行って検定試験を受けることにした。

 この検定試験というのは今から考えるとずい分無茶な試験制度で、中学の全課目の30数課目を、毎日1課目ずつ試験していく。そして約1カ月で全部の試験が終るのだが、1課目が50点以上、総合平均点が60点以上でないと卒業証書はもらえない。

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 私が受けたとき、最初は70人位いたのがまず数学で4、5人になり、英語で2人になり、漢文でついに私1人になってしまった。その後、約半月間は私1人で受けたわけだ。一番最後の日が、困ったことに体操だった。

 私は体操と音楽が最大の苦手である。いまでは頼まれれば音楽評論でもやってのけるが、いまだにあの「ドレミファ」なんて何の内容もないくだらないことをなぜ音楽の時間にやらせるのか、さっぱりわからない。音痴であることもたしかだが。

昭和43年の大宅壮一氏 ©春内順一/文藝春秋

 体操はさらに苦手だった。運動神経が少し足りないのか、当時よくやらされた分列行進がどうしてもできないのだ。私一人がどうしても足が合わない。注意して歩けば歩くほど他の人の歩調に合わなくなってくる始末で、私一人が隊列にいるために、結局全体の歩調が乱れてくる。

 中学時代の体操の先生は杉本という人で、この人はオリンピックで高石勝男など水泳の優秀な選手を作りあげた人だったが、私の歩調だけはいくら骨を折ってもどうにもならなかったという、いわくつきのものである。

 うまく歩けないとあっては、他の種目もおして知るべしで、器械体操はからきしだめだった。尻上りという女の子でもやれるようなことが、何回やってもできなかった。

重油の海で死にかけた

 この器械体操ができない、ということで、私は後年危く命をおとすところであった。大東亜戦争が始ったとき、私ども文筆家も徴用を受けて麻布三連隊に入った。そして武田麟太郎、北原武夫、阿部知二、横山隆一、小野佐世男らといっしょに宣伝班員としてジャワに送られることになった。

 ところが上陸の直前敵艦の砲撃をうけて、私たちの乗っている船が沈没したのである。

 私は浮袋をつけて海にとびこんだ。詩人の大木惇夫が、何かしゃべろうとしているが、ガタガタふるえるばかりで声にならなかった。

 何時間か重油の海で泳いでいると、味方の舟が助けにきてくれた。舟から手をさし出してくれ、それにつかまると船にひき上げてくれる。尻上りさえできれば簡単に足が船の中に入るところを、できないために、何回もがいても海に落ちてしまう。

 やっと船のふちに手をかけて何とかずるずるとひきずり上げられたからよかったものの、あともう2、3回落ちていたら、助けなければならない兵隊の数が多いだけに、私1人に時間をついやしているわけにもいかないと、そのまま見捨てられていただろうと思う。考えると今でも冷汗がでる。

 器械体操は大切なものだと、このときつくづく思った。

©春内順一/文藝春秋

「ゴム製品」は男子の必需品なのだ

 翌朝ジャワ島に上陸したとき、私はショートパンツ1枚の丸裸であった。パンツのポケットをさぐってみると、その月の給料としての軍票が数枚、それに「突撃一番」という例の、兵隊の必需品である「ゴム製品」がでてきた。

 あとでわかったことだが、この「ゴム製品」は大変役に立つもので、ヘンな病気の予防になるほか、貴重品を救うことができる。いっしょに海に放り出された作家の富沢右爲男は、命より大事にしていた芥川賞記念の時計を、この「ゴム製品」の中へ入れたおかげで、無事助けることができた。その中に入れて口をしばっておけば、5時間位海中で泳いでいても決して濡れないのだ。

 このときのことが印象に強く残っていて、私はその後、国の内外の取材旅行などから帰ってきて、洋服ポケットから例の「ゴム製品」がでてきたりすると、必ず、
「これは男子の必需品であって、これさえあればいざという時に、貴重品を救うことができるのだ」

 と、富沢のことを例に出して女房にいいきかせるようにしている。