この高校で出会った今でも仲良くしている友人は、その前の学校が合わなくて転校した、と言っていました。結構そういう子、多かったですね。働いている子や年齢も離れているサラリーマンみたいな人もいたし、まぁいろいろな人が当時はいましたよ。
ひとりでランチをしていたとき、Yちゃんから掛けられた言葉
通信制での友だち関係はどうだったかというと、べたべたした感じが最初っからないんです。私は一人でいるのが好きなタイプだったから、その距離感が楽でした。全日制だと毎日会うから、それはそれで楽しいんだけれども、たとえば「明日何時に学校来る?」ってスケジュールを確認し合うことも結構出てくるし、その事が私にはちょっとストレスで。そういうやりとりが通信制では一切なくて、当時は今みたいに携帯電話もない時代だから、そもそも簡単に連絡もできないんですけど、学校で会ったら、「ねぇお昼一緒に食べる?」と声をかけ合って、「また来週、会えたら会おうねぇ~」みたいな感じで、心地良い距離感で付き合ってました。
だけど、それが他人行儀かっていうとそんなことはなくて、困っているときはみんな助けてくれました。提出すべきレポートがどうしても出来なくて困り果て、偶然会った友だちに話したら、「早く言いなよ~、資料はこれ見てやったらいいよ!」と言ってくれて。そんな時はめちゃくちゃ助かったし、それがなかったら卒業できてなかったと思います(笑)。
普段密にやりとりしてないけど、みんなどこかで助け合わなきゃという共通意識はありました。私も困っている人がいたら助けてあげようと思っていましたし。
基本的に独り、独学。自分が卒業するために逆算して何の授業をとらなければいけないのか、というところから始める。だからお互いの孤独を慮るのかも。相手を尊重しつつ、自分のペースを大事にしながらコミュニケーションができる。通信制の友だちとの関係は、これまでの学校にはなかったものでした。
―(略)―全日制高校が合わなくて途中編入した彼女は、ひとりでランチしているわたしに声をかけてきた。
「一緒に食べようよ」
ひとりでも平気だったはずだった。それなのにYちゃんの誘いに涙が出そうになった。
ずっとさみしかった、と気が付いた。
(「文庫版特別エッセイ」より抜粋)
これは実際にあった話です。一人きりで東京に出てきて転校を繰り返して、大人の中で仕事をしていたから、自分は強いんだ、と勝手にずっと思い込んでいたんです。なのに、「一緒に食べよう」と言われたら、ものすごく嬉しくてドワーーッと泣きそうになった。このときの衝撃っていうのは今だに覚えています。なんだろう、自分の心は石のように硬いと思っていたら実は薄いガラスみたいな硬さで、声をかけられて一気に割れた感じ。実は強がってたんじゃないか、と振り返って思います。