高1当時は「受かるとは1ミリも思ってなかった」
――いつから東大という選択肢が出てきたのでしょうか。
神谷 高1のときに友人と一緒に東大の文化祭に行く機会があり、フランクフルトを焼いているお兄さんに「お姉さん、こっち」と誘われてホイホイついて行って食べるみたいな。そんな雰囲気がとても楽しかったんです。
それに、一般的に想像出来るようなガリ勉っぽい人も少なく、キャンパスがキラキラしているように見えました。
――それまでは「東大生=地味」というイメージだったんですね。
神谷 そうですね。共学へのあこがれもあって、「もう東大行く!」とそこで決めました。
――高校1年生から東大を目指しはじめたということかと思いますが、当時から合格ラインにいたのでしょうか。
神谷 受かるとは1ミリも思ってなかったです。実際、高校入学時は偏差値37でしたし。
中学受験は親が主導してくれたので合格できましたが、中高時代は部活命。朝練から始まり、1限から6限まで授業中は夢の中……そしてまた部活、みたいな生活で、下から数えたほうが早いくらいの成績でした。なので、東大受験を決めてからは青春をなげうって勉強していましたね。
――1浪の末に東大合格をつかみ取ったそうですが、浪人時代はどんな生活を?
神谷 予備校に行っていましたが、そのクラスは開成出身や模試A判定の子が集まるクラス。だから周りは「次は絶対受かるっしょ」的な軽いノリで、友だちを作りに行くような感覚だったような気がします。
でも、自分はそこまで余裕がなく、親からも2浪は許されていなかったので、焦って勉強していました。
潰しが効くからと経済学部へ
――東大を目指していた仲間たちは日本の中でもトップクラスの学力を持つ方々だと思いますが、皆さんの将来の夢ってなんでしたか?
神谷 予備校時代に「官僚になりたい」を目標にしていた人は一定数いましたが、私が知る限り、結局途中で別の道を選ぶ人が多く、省庁に行ったのは2人だけ。あとはほとんど外資系の企業ですね。
――神谷さんは東大経済学部に進学されましたが、経済学部を選んだ理由は?
神谷 理由としては潰しが効く、というところが大きいですね。
――「潰しが効く」とは、具体的にはどういうことですか。
神谷 官僚への道もあるし、商社でも銀行でもデベロッパーでもコンサルでも、進路の幅が広がるんです。
経済の基礎には統計が入っているので、やりたいことが大きく変わったとしてもシフトチェンジもしやすいから、私と同じような理由で経済学部を選んでいる人は多いのではないですかね。
――話が前後してしまいますが、東大に合格したときの気持ちはどんなものでしたか。
神谷 合格発表時はコロナ禍だったので、赤門での合格者掲示がなく、パソコンで自分の番号をPDFファイルから探す発表でした。当日は気がついたら「受かったーーー!」と奇声を上げて自分の部屋から家族のいるリビングに向かって走っていました。
本当は超かわいくメイクをして、赤門前で胴上げされたところを取材に来たテレビに映りたい願望はあったのですがダメでした(笑)。