1ページ目から読む
2/6ページ目

辛い時期を乗り越えて、TKOは東京に進出でき、なんとか全国区と呼ばれる芸人になりました。でも、「少しは売れたんちゃうか」からが茨の道でした。

最初に不安が大きくなっているのを自覚したのは、40代の半ばをすぎたころでしょうか。40代前半は、売れたときの勢いでレギュラーが増えます。仕事がなんだかんだでうまく回り出して、世間からも「あの人よく出ているね」といわれるようになります。ただ、50歳が近づくにつれてどんどん出番が減っていきます。

目標とする「売れ方」には届かなかった

それでも出番はありましたが、然るべき時期に重要なポジションを担う芸人にはなれなかった。つまり、ゴールデンタイムの冠番組を持つところまではタッチできずに、横目で見ながらその時期を逃してしまったという思いが強くなってきます。

ADVERTISEMENT

僕としては「あかんかった」と自覚がある。それでも世間的に見れば、忙しい人。周りからも「売れてよかったね」といわれるのですが、自分の中では「売れるっていうのは、そうじゃないねん」と反論したくなるのです。

コロナ禍は「50代の予行演習」のよう

同世代の芸人仲間の話を聞くにつれ、芸人とは違う路線で“稼ぐ”手立てを考えなければという思いが強くなってきます。そんなタイミングで、暗号通貨ブーム直前の波に呑まれてしまったのです。自分の中に「投資」というものがインプットされてしまい、一気に加速していきました。

さらに追い打ちをかけられるように“コロナ禍”になりました。対面でのロケや取材が制限されましたし、外出自粛により、3カ月のあいだ、仕事がない状況に陥りました。僕はこれから迎える50代の予行演習をさせられている気分でした。そうした不安が重なって、僕はよく知りもしない投資にのめり込んでいきました。

すべては、「これからどないしよう。どないしたらええねん」という不安によるものでした。

トラブルを経た僕は、不安に押しつぶされていた自分を反省して、我々の強みを活かすべきだったと思っています。TKOというコンビの原点を忘れていた事実を思い浮かべながら。