ちなみに、このときに山田さんが担当していた仕事のひとつに、バラスト(線路に敷き詰められている砕石)の手配があった。ふだん、バラストは保線工事で用いているものの、七尾線のほぼ全線に渡るほど大量の在庫を抱えているわけではない。
「バラストの生産者さんに発注しないといけないのですが、最初はいきなりこんなにたくさんは無理だよ、と。なんとかお願いして、工場をフル稼働してもらって、あとは石川県内だけでなく富山や福井の業者さんにも発注して、なんとか確保することができました。
だから、早期復旧というとJRが頑張った、みたいに報じられたりすることもあると思うのですが、私としてはいろいろな関係者が総力を挙げて、力を合わせて取り組んだ結果なんだということを知ってほしいな、と思います」(山田さん)
あくまでも“復旧”しただけであって、元の通りに走っているわけではない
いずれにしても、多くの関係者が正月明けから休みを返上して「早期復旧」に向けて力を尽くした。その結果が、近年の災害被災路線にしてはまれに見る“スピード復旧”につながったのだ。
ただ、被害規模が大きかったエリアは鉄道の通っていない奥能登エリア。その地域ではまだまだインフラの復旧も途上だ。鉄道も、あくまでも“復旧”しただけであって、元の通りに走っているわけではない。七尾線を走っていた人気観光列車「花嫁のれん」もいまだ運休が続く。
地震発生当時、金沢駅で駅員をしていた臼井さんは、「花嫁のれん」のアテンダントという顔も持つ。入社後は福井駅で働いていたが、2021年に金沢駅に異動。2022年7月には自ら手を挙げて「花嫁のれん」のアテンダントになった。
「金沢駅は忙しい駅なので、お客さまとしっかりお話をする機会が少ないんですよね。せっかく金沢で働くのだから、何か石川らしい仕事を、そしてお客さまとコミュニケーションをとれる仕事がしたいと思って手を挙げました。車窓を見ながら『あ、白鳥いました!』みたいなやりとりをして、お客さまと景色や感情を共有できるのは、とても楽しかったですね」(臼井さん)
「花嫁のれん」のアテンダントは、乗務前に和倉温泉の加賀屋で研修を受ける。おすすめの観光スポットや飲食店などを自分の言葉で乗客に紹介するため、自らの足で能登各地を回ったこともある。だから、臼井さんにとっても能登半島への思いはひとしおなのだ。