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「大丈夫でしたか?とお声がけをしたい。でもうかつに聞くことはできない」

 北陸新幹線は地震の翌日、1月2日には運転を再開している。2日の午前中には富山~金沢間で再開し、午後には全線で復旧。当初は徐行運転が行われていたが、通常ダイヤに戻るのも比較的早かった。能登半島ではまだまだ被災者の救助活動が続いていたが、金沢市内は一見平穏を取り戻す。在来線の運転も再開し、臼井さんも通常業務という点では割とすぐに日常に戻ったという。

「ただ、いろんなところで被害は垣間見えますし、自分の仕事をしないといけないけど地震の方も心配で。自分たちに何かできることはないのかな、と考える日々でした。

 観光のお客さまはだいぶ減りましたが、ボランティアか何かで来られたのかなという方の姿も見えるようになって。あとは能登からなんとか金沢まで戻ってきたというお客さまもいらっしゃいました。『大丈夫でしたか?』とお声がけをしたいのですが、でもうかつに聞くことはできないじゃないですか。とはいえ、何も言わないのもおかしいし……。だから、私だけでなく社員はみんな接客の仕方に悩んだと思います」(臼井さん)

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「被災→廃止」というローカル線も少なくない。危機は…

 壊れて閉まらなくなったホーム柵は、数日間にわたってそのままだった。当初は壊れたホーム柵のあるのりばを使わない運用をしていたが、ダイヤが通常に戻ればそうもいかない。そこで、社員たちが壊れて閉まらなくなった一部のホーム柵の前に立って人力で安全を確保して列車を走らせた。たくさんの人の力で列車は走る。臼井さんは、そのことを強く実感したという。

 被災地である能登半島に向かうには、否応なく金沢を経由しなければならない。特に能登半島の主要道路が大きな被害を受けた今回の地震では、物資も人もすべて金沢が拠点となる。

七尾線(JR西日本提供写真)

 臼井さんたち金沢駅の駅員は、そうした地震直後の人の動きを目の当たりにした。だからこそ、1日も早い鉄道の復旧が欠かせない。それは鉄道に携わる人すべての共通認識だったのだろう。ローカル線が被災して不通になると、すぐに復旧されず、それどころかそのまま廃止につながる例も最近では少なくない。

 しかし、少なくとも七尾線・のと鉄道に関しては、社内ではそうした議論を見聞きすることはなかったという。金沢支社施設課の山田さんは振り返る。

山田一樹さん ©️鼠入昌史

「SNSとかで七尾線が廃止か、みたいに言われているのは知っていました。でも、社内ではまったく。むしろ、いかに早期復旧するかに全員で注力していました。実際の工事を行う施工会社さんに相談すると、最初はもっと時間がかかるという話だったんです。

 でも、こんなには時間はかけられない。なんとか早くすることはできないか、と。それで人やモノをとにかく投入して、関西の方からも業者さんを呼んできたりして、早期復旧を目指していきました」