早く復旧できた路線も“被害が軽かった”というわけではなく…
ただ、その七尾線の被害も大きかった。比較的被害状況が軽微だった南側の津幡~高松間は1月3日に運転を再開でき、以後順次北に向けて少しずつ運転区間を伸ばしていく形で復旧が進められている。この工事に携わったのが、JR西日本金沢支社施設課の山田一樹さんだ。
「金沢側は被害が少なかったのですが、高松~羽咋間も大きな被災場所がありました。路盤が沈下して線路がジェットコースターのように波打ってしまっているような。羽咋~七尾・和倉温泉間も同じです。ホームや駅舎なども被害を受けていましたし」(山田さん)
被害の大きさから、当初は復旧までにかなりの時間を要すると考えられたという。しかし、昼夜を問わず工事を進める関係者の努力の甲斐もあって、羽咋駅までは1月15日に運転を再開。22日には七尾駅、2月15日には和倉温泉駅までの復旧が実現した。そして、この間の1月半ばからはのと鉄道の復旧もスタートする。
北陸エリアの鉄道網が抱えていた「新幹線延伸」という“特殊な事情”
被災した路線の復旧などを担うのは山田さんが所属する施設課だ。だから、その筋にのっとればのと鉄道の復旧も山田さんら施設課の手によるのが自然な流れ。
ただ、今回はのと鉄道の復旧には金沢工事所という本来は新線建設などに携わる部署にも協力を依頼した。これは、北陸新幹線の延伸を控え、施設課では北陸本線の第三セクター移管業務などを抱えていたためだ。そこで、北陸新幹線関連の事業がひと段落していた金沢工事所ものと鉄道の復旧を担当することになったという。
そう、JR西日本は能登半島の鉄道の復旧に加え、北陸新幹線の敦賀延伸開業という一大事業も抱えていたのだ。
「地震のときは、ちょうど仕事が休みで金沢の自宅にいたんです。こんな大きな地震は経験したことがなくて、翌日には新幹線の駅業務だったので心配で……。出勤してみたら、ホームの窓ガラスにひびが入っていたり、地面も少し隆起していたり、あちこちに被害がありました。自動ホーム柵が傾いてしまって開閉できなくなっているところも……」
地震発生当日をこのように振り返るのは、当時金沢駅で新幹線の駅運転業務などを担っていた臼井莉奈さんだ。駅運転業務とは、おおざっぱにいえばホームで利用者の乗降などを誘導し、安全を確認して乗務員に出発の合図を出す仕事だ。