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――食べるだけじゃなくて作ることへの興味も小さいころからあった。

稲田 だいぶありましたね。鮮明に覚えているのは、小学生くらいの時に母が唐揚げを作るのを見ていたら、脂身を取っていたんですよ。それで「脂が美味しいから取らないで」って頼んだんだけど、「これはいらない脂だから」って言われたのは忘れられません。

――「脂が美味しい」という小学生。

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稲田 食事の時もとにかく料理のことについてよく話をする家でした。学校であった面白い話とかは食事の時にはせず「今日のお米は新米だ」とか「出汁が美味しいね」とか、とにかく今食べてるものの話をする。そうすると子供ながらに、これが新米なのか、この味をいい昆布と言うのか、みたいなことを覚えるんですよ。

「味覚って舌の感覚そのものよりラベリングが大事だと思ってるんですよ」

――食のエリート教育ですね。稲田さんの味覚はそこで培われたんでしょうか。

稲田 そうだと思います。というのも僕は、味覚って舌の感覚そのものよりラベリングが大事だと思ってるんですよ。

――ラベリング?

©三宅史郎/文藝春秋

稲田 どういう味のことを「苦い」と呼ぶか、「渋い」ってどういうことか、みたいな“味につけるラベル”を持ってるかどうかで、味の区別ってかなり違ってくると思うんですよね。だから僕が料理の味を細かく区別できるとすれば、その根底には、家で食べ物について毎日話す中でラベルの作り方を覚えたことがあります。

――舌の感覚と同じくらい、言葉が大事なんですね。ということは大人になってからでも味覚は鋭くなる……?

稲田 間違いなく鋭くなると思いますよ。僕自身も料理の知識は本で知った部分が多いですし。本で読んで、自分でも作ってみて、食べる時には言葉にすることでわかるようになることは多いと思います。

――小学生の時に伊丹十三の食エッセイを読んでいた、というエピソードは驚きました。

稲田 本は小さい頃から好きだったんですけど、特に食べ物についての本が好きだと気づいて、手当たり次第に食エッセイ的なものを読んでいた気がします。伊丹さんとか、池波正太郎さん、檀一雄さん、東海林さだおさんとか、あとは母親が買っていた暮しの手帖とか。そういう本も家にあったので、家庭の影響は大きいんでしょうね。

©三宅史郎/文藝春秋

――稲田さん自身が2人のお子さんを育てる時に、食べ物について何か考えていたことはありますか?

稲田 あまり考えてないんですよね。僕の親も子供の好みを優先するというよりは、自分たちが食べたいものを作りたいように作って子供側がそれに合わせる感じだったので、基本的には僕もそのスタンスです。

――家では料理は稲田さんが作るんですか。

稲田 家にいる時は100%僕が作ってますね。

――それは羨ましいです。……もしかして時々、「変態料理人」の性分が顔を出して家族を困惑させることもあったりするのですか?