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 湯村温泉を開湯した慈覚大師とお薬師様が祀られ、その前に卵や野菜、山菜等を茹でることができるいくつもの「湯つぼ」がある。

 かつて洗濯をした場所には足湯が新設されたため、洗濯はできなくなっていたが、「荒湯」前の売店で購入した卵と甘酒を「湯つぼ」に入れた。10分経過した頃、茹であがった卵を湯からあげ、熱々の甘酒と一緒に頬張ると、ドラマや映画の「荒湯」のシーンが思い浮かんだ。温泉橋の赤い欄干は古びたものの、「荒湯」の作りは映像とまったく変わっていない。つい、夢千代や着物姿の樹木希林が前を通らないかと待ってしまった。

 湯村温泉はいわゆる「ハレの温泉」ではなく、「ケの温泉」だ。

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 1000人程が暮らす半径400メートルの小さな温泉地に、源泉が63本もあり、そのうち80パーセントしか使っていない。民家にも配湯していて、佐智子さんの家はお風呂だけでなく、洗面台や洗濯場等7つの蛇口を開ければ温泉が出てくる。水道料金より安いというから、ここで暮らす人の日常に温泉は当たり前の存在だ。このような「ケの温泉」で暮らす人たちの生活の豊かさや素朴さは、生き馬の目を抜く芸能の世界で過ごす樹木希林と吉永小百合には新鮮に映り、心惹かれたのではないか。

 樹木希林と佐智子さんの付き合いは続いた。

樹木希林さん

「樹木さんという方から電話があったよ」

 撮影を終えてから15~6年たった頃、樹木希林から佐智子さんに「私の古着ですが着てください」とだけ書かれた自筆の手紙と、着物が送られてきた。

「紫色と黒の縦縞の着物でした。袖が少しほつれていましたからね、着ていたものですよ。嬉しくて、桐箪笥の中にしまってあります」とほほ笑む佐智子さん。

 樹木希林は度々電話もかけてきたが、佐智子さんの職場のスナックではなく、いつも自宅。自宅で電話をとる佐智子さんの母は、「樹木さんという方から電話があったよ」と伝えたそう。

 佐智子さんが最後に樹木希林と話したのも電話だった。亡くなる3年程前に、「京都で撮影があって、来ている。これから東京に戻るから湯村には行けないけど、近くに来たから」と樹木希林らしい心配りだった。