マリアのような芦川いづみさん
川本 吉永さんが生まれ育ったのは、代々木西原で、お父様は外務省の元官僚。下町の貧しい少女を演じるのは、ギャップをお感じにはなりませんでしたか?
吉永 ただ私の家も父が事業に失敗し、内実は火の車でした。小学生の頃、給食費が払えなくて、母に「今日は持ってくるのを忘れました、ってことにしなさい」と言われたこともあります。
だから、『キューポラのある街』の、家が貧しくて修学旅行に行けなかったり、働きながら定時制高校に行くことを決意したりするジュンの気持ちが、少しはわかるような気がしました。
川本 『いつでも夢を』も、定時制高校に通う若者たちの群像劇でしたね。
吉永 私は、昼間は看護婦として、信欣三さん演じるお父さんの医院を手伝う娘の役でした。
川本 共演された俳優の皆さんの思い出についてもお聞きしたいと思います。
吉永さんが大活躍された1960年代前半の日活は、戦後の映画製作再開からまだあまり時間が経っておらず、若々しい会社というイメージでした。俳優やスタッフにも、古株のボスみたいな人がおらず、風通しがよかったんじゃないですか?
吉永 はい、のびのびと仕事できましたし、先輩たちからとてもかわいがっていただきました。
とりわけ芦川いづみさんは、やさしい方でした。当時手が届かなかった舶来の高価な化粧品を、分けてくださったこともあります。
川本 芦川さんは、ロケの撮影中に吉永さんが熱を出した時、徹夜で看病なさったそうですね。
吉永 自分が同じことをできるだろうか、といつも考えてしまうんです。徹夜をすれば、どうしても顔に出て、翌日の撮影がボロボロになってしまう。そう考えると、やっぱり芦川さんはマリアさまのような方だと思います。
太宰治原作の『真白き富士の嶺(ね)』では、姉妹役で共演しています。私の役名が「梓」だったのですが、芦川さんは撮影中、私のことをずっと「アズちゃん」と呼んでくれました。そんなことも、大切な思い出として自分の中に残っています。
憧れの裕次郎さんと共演
川本 他によく共演された方で印象が強いのは……。
吉永 浅丘ルリ子さんや和泉雅子さんとはよくご一緒しました。芦川さんも加え、四姉妹を演じた『若草物語』もあります。芦川さんが長女、ルリ子さんが次女、私が三女で、雅子ちゃんが末っ子役でした。
雅子ちゃんは、本当におてんばでやんちゃでしたね。あとで冒険家になったのも、よく分かります。
川本 銀座の食堂の娘さんで、まさに元気な下町っ娘という感じでした。『非行少女』での彼女は、その印象とあんまり違うんでびっくりしました。
吉永 あの元気な雅子ちゃんが、あの暗い非行少女役を演じたんですからね。そこはやっぱり浦山監督の演出力が大きかったのでしょう。
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本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「吉永小百合『日活撮影所が学校でした』」)。