今年でデビューから65年を迎える女優・吉永小百合さん。出世作と目される『キューポラのある街』を皮切りに、初期の映画作品の思い出を振り返った。(聞き手 川本三郎・評論家)

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100年先も残る『キューポラのある街』

 川本 吉永さんが今年映画デビュー65年を迎えられるとお聞きして、びっくりしました。日本の三大女優と呼ばれる、田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子より映画界でのキャリアが長くなられた。

 吉永 高峰さんが引退されたのは55歳の早さでした。素晴らしい映画をたくさん残された後、エッセイストになられたのですね。2つのキャリアを築かれた方だと思うんです。

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 かたや私の方は、中学を卒業してすぐに日活撮影所に入り、16歳の時に浦山桐郎監督の『キューポラのある街』で、ジュンという少女の役を演じました。この映画がみなさんの一番記憶に残っている作品でしょうし、これから50年、100年先も残っていくような映画だと思うんです。なんとか『キューポラのある街』を超える作品に出たい、という思いで続けてきたら、あっという間に時間が過ぎていた、というのが正直なところなんです。

『キューポラのある街』(1962年、浦山桐郎監督) ©日活

 川本 もちろん『キューポラのある街』は名作ですが、それ以降も市川崑監督や、山田洋次監督といった名匠たちと数々の名作を生み出されてきたと思います。そうした中後期の作品については後でゆっくり伺いますが、まずは初期作品についてお聞きします。

 映画デビュー作『朝を呼ぶ口笛』は、松竹映画でしたね?

 吉永 ええ。私が通っていた「ひばり児童合唱団」の指導者・皆川和子先生と親しかった松竹のプロデューサーから、映画のオーディションのお話があったのがきっかけです。その前に、ラジオドラマの『赤胴鈴之助』にも出ているんですが、それもオーディションでした。1万人ぐらい応募があって、選ばれたのは藤田弓子さんと私、そして男の子が2人。そういう意味では、いろいろ幸運が重なってのデビューだったと思います。

 川本 『朝を呼ぶ口笛』は、荒川沿いの葛飾が舞台でした。『キューポラのある街』も、やっぱり荒川近くの川口が舞台です。

 そして、翌年の『いつでも夢を』は、「お化け煙突」が近くに見える下町の工場地帯です。初期の吉永さんというと、「川の流れる下町で、貧しくもけなげに生きる女の子」というイメージでした。

 吉永 お化け煙突、なつかしいですね。成瀬巳喜男監督の『女が階段を上る時』などにも出てきます。