給料は3分の1、お客からひどい罵詈雑言をかけられたことも……。会社から営業職を解かれた銀行マン。彼を襲った“さらなる悲劇”とは……? 現役行員の目黒冬弥氏による『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記 このたびの件、深くお詫び申しあげます』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

給料は3分の1に…銀行マンに何が起きた? 写真はイメージ ©getty

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取引先課課長を“クビ”になった銀行員のその後

 取引先課課長を“クビ”になった私は、預金担当課の管理者を目指す研修を命じられた。研修場所は、都心のど真ん中にある本店だった。

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「このカリキュラムに参加した人たちの中には、その後、副支店長になった人もいるんですぅー」

 慰めなのか、励ましなのか、研修担当者は語尾をやたら伸ばす独特の話し方でそう告げた。

 研修は、預金事務および総務、それにまつわる法律関係の内容で、座学で窓口対応についての講義を受けた。講師は、窓口の課長を長年経験したという60すぎの大先輩だった。

 興味の湧かない授業が続く。私は講義を聴きながら、なぜ自分が営業をクビになったのかを悶々と考えていた。

 それまで午後10、11時だった帰宅時間が午後5時になった。小学生が外で遊んでいる時間帯に、家へ帰る。パートに出ている妻より、習い事をしている娘より帰宅が早い。リストラされたお父さんそのものだ。肩身の狭さを感じていた。帰宅する電車の中で、数カ月前のこの時間はお客さんの会社をまわっていたなあと未練がましい思いが湧いてきた。

 退屈な研修が1カ月続くと、給料日がやってきた。振り込まれた給料は17万円。それまでの3分の1になっていた。

 2カ月後、池袋駅前支店に配属され、実地研修に移った。副支店長が3人もいる巨大店だ。

 実習では、クレーマーの窓口対応をやった。実習とはいえ、実地である。実際の窓口に立って、クレーマーの対応をする。

「バカかよ。死ねよ」

「バカかよ。死ねよ。」写真はイメージ ©getty

 実際に面と向かって、そう言われた。これは強烈な体験で、窓口係とはどういうものか、身をもって知った。

 その数カ月後、私は東京の下町・下小岩支店への赴任を命じられた。

 また現場に戻れる。事務職の、窓口サービスを担当する課であり、顧客獲得や融資獲得のための営業を行なうわけではない。それでも現場に戻って、誰かの役に立てると思えることがただただありがたかった。

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