罪のない人間7人を保険金目的で殺害……1984年に夕張市で起きた、前代未聞の凶悪犯罪「夕張保険金放火殺人事件」。死刑のたびに控訴した、首謀者カップルだったが、ある日突然それを取り下げる。2人が目論む「昭和天皇崩御による恩赦」とは……。新刊『世界の殺人カップル』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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殺人カップルのその後
殺人、現住建造物等放火、詐欺の罪で起訴された安政と信子の裁判は1987年3月9日から札幌地裁で始まった。公判で検察側は作業員を飲酒させた後、就寝間もない時間を狙って共犯に放火させている点などから「明白な殺意があった」と主張。対し、安政被告側は「火災保険金さえ手に入ればよかった」と6人全員について殺意を否認し、妻の信子被告も、飲酒すると泥酔することの多かった一人について「未必の故意」を認めただけで、共に「犠牲者が出ないように、と指示したのに共犯(I)が言ったとおりにやらなかった」と反論した。
判決公判で裁判長は、争点となっていた殺意について、両被告と実行行為者との間で「放火の結果、焼死者が出てもやむを得ないと認容していた」として、焼死した6人全員についての未必の殺意を認め、死刑を宣告する。安政と信子はこれを不服として札幌高裁に即日控訴。その後、控訴審は4回開かれたが、夫婦は1988年10月に突如として控訴を取り下げる。これにより、夫婦ともに死刑が確定した。
2人が控訴を取り下げたのには明確な理由がある。当時、天皇陛下の危篤が続いており、陛下ご逝去にともなう恩赦の対象に死刑確定囚が含まれるという噂が流れていた。
過去にも明治天皇や大正天皇が崩御した際には恩赦により殺人犯の刑が減刑された例があった。ただし、恩赦の対象となるには刑が確定していなければならず、裁判中の者は対象にならない。そのため夫婦は意図的に控訴を取り下げたのである。しかし、1989年1月7日の昭和天皇崩御の際、懲役受刑者や禁錮受刑者、死刑確定者に対する恩赦は一例も行われなかった。そもそも保険金詐取を目的とした保険金殺人は、はなから恩赦の対象外で、仮に恩赦が行われたとしても日高夫婦が対象に選ばれる可能性はなかったのである。
恩赦の期待を絶たれた夫婦は、1996年5月に「死刑判決を受け、法律の知識もないままに恩赦があると誤認した」として札幌高裁に控訴審の再開を申請したが認められず、最高裁に提出した特別抗告も1997年5月に棄却。同年8月1日、夫婦ともに札幌刑務所で絞首刑に処される。日本における女性死刑囚の死刑執行は、1970年に執行された女性連続毒殺魔事件の杉村サダメ以来27年ぶりで戦後3例目だった。ちなみに実行犯のIは1987年3月、札幌地裁で無期懲役判決が出て、控訴せず確定した。
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