さらに佐藤氏の口から零れたのは、後輩たちへの偽らざる思いだった。
「あのとき捜査に関わった30人以上のメンバーは誰しも、捜査を全うできなかったことで今でも悔しい思いをしている。文春の記事を読めば、現役の奴らが並々ならぬ覚悟で証言しているのがよく分かるよ」
そして——。
「俺は去年退職して、第一線を退いた。失うものなんてない。職務上知り得た秘密を話すことで地方公務員法に引っかかる可能性がある、だ? そんなことは十分承知の上だ。それより通すべき筋がある。現役の奴らの想いもある。もう腹は括った。俺が知っていること、全部話すよ」
こうして“伝説の取調官”は、ポロシャツにチノパン姿で小誌取材班の前に現れた。粗野な口調には時に温かさが滲み、穏やかな眼光は時に鋭さを見せる。そんな佐藤氏への取材は、5日間、計18時間にわたった。
仲間たちが作った捜査資料を必死の思いで読み込み、全身全霊でX子さんと向き合った佐藤氏の記憶は、約4年9カ月が経った今でも詳細で鮮明だった。そして、そこから浮かび上がったのは、驚くべき新事実の数々だった〉
佐藤氏が考えた記者会見の「勝算」とは?
「木原事件 妻の取調官〈捜査一課刑事〉実名告発18時間 木原は『俺が手を回したから』と妻に…」と題された記事が掲載された「週刊文春」は7月27日に発売された。
同誌の竹田聖編集長と片岡侑子デスクから「実名で記者会見をしないか」という提案を受けたのは、その前日のことだ。俺はその提案を二つ返事で受けた。
記者会見に臨むに当たって、俺の頭の中にあったのは、「事件性はない」という露木長官の見解に議論を呼び起こすということだった。
まず、この事件が「立件票」が交付された「事件」であること。それを俺が実名で伝える。そのことによって、露木長官と俺の「どちらかが噓をついている」という状況を作り出せるだろう、と考えたのだ。