ドコモ社長を「公開処刑」した親会社
だが、事件は「任期4年」の慣例を破り、吉澤社長が5年目に突入した2020年9月に起こった。突如、副社長の井伊氏に社長交代する人事が発表されたのだ(12月1日付)。
「ドコモの収益率がKDDIとソフトバンクに負けて3位となっていたことに、親会社NTTの澤田純社長が不満を持っており、事実上の更迭だろうと囁かれました。実際、会見で澤田社長は『吉澤さん、ごめんね。ドコモはシェアこそ1位だけど、収益は3番手だ』と、直接苦言を呈していました」(前出・ジャーナリスト)
もう一つ、澤田氏の不興を買った理由とされるのが、菅義偉官房長官(当時)や総務省が主導する携帯料金値下げに、吉澤氏が反発していたことだ。
「澤田氏としては、監督官庁である総務省や、総務省のドンである菅氏の意向を無視できません。その上、澤田氏は世界でGAFAと戦えるような通信会社を作るべく、ドコモの非上場化を菅氏と計画していたと言われています。2019年に菅氏が携帯電話料金を4割値下げするとぶち上げた時、当初、吉澤氏は不満を漏らしていた。しかし澤田氏が方針の見直しを迫り、ドコモも『2~4割下げる』と呼応せざるを得なくなったのです」(経済部記者)
澤田氏は人事において、しばしば豪腕を奮ってきたことでも知られている。
「麻生太郎首相、安倍晋三首相時代に2度首相秘書官を務めた経済産業省出身の柳瀬唯夫氏を、引き寄せたこともある。同氏は2019年にNTTの海外事業を統括する中間持ち株会社の取締役に就任。現在は、NTT本体の副社長執行役員として事業企画室長、経済安全保障担当、CBDO(Chief Business Development Officer)という肩書きでグループ内において存在感を放っている」(同前)
結果、吉澤氏は2021年に相談役に追いやられ、半ば「公開処刑」のような形で表舞台を去った。4兆2500億円にのぼるNTTによるドコモへの株式公開買い付けは2020年11月に終わり、完全子会社となった。そして、「澤田氏の子飼い」(ドコモ幹部)と呼ばれた井伊氏がドコモ社長に就任するのは、その翌月である。
ドコモ改革を進めた“大老の子孫”
井伊氏は江戸末期に大老を務めた井伊直弼の子孫にあたる人物だ。慶應義塾大学大学院を修了後、NTTに入った。NTTコミュニケーションズ(丸岡亨社長)、東日本電信電話(澁谷直樹社長)への出向を経て、2018年にNTT副社長に就いた。澤田氏とはNTTコミュニケーションズ時代に共に仕事をしていた仲だった。
ドコモの社長となった井伊氏は、カンパニー制を導入したり、ドコモショップの統廃合を進めたりするなど、次々と改革を進めていった。
「もともとドコモはNTTグループ内では独立心が強く、自由な、風通しの良い社風でした。そんな中、井伊社長が乗り込んできて、NTT閥がドコモで力を強めることとなり、社内で不満の声も高まったものの、社長は改革を断行しました。2022年1月にグループ企業のNTTコミュニケーションズとNTTコムウェア(黒岩真人社長)を子会社化。アクセンチュアと連携し、『ウェブ3』と呼ばれる次世代インターネット技術に、最大6000億円を投資すると発表。同事業を推進する子会社をNTTデジタルと名付けるなど、成長に向けた種まきも行ってきました」(前出・ドコモ関係者)
そして今年、井伊氏が社長に就任してからちょうど4年のタイミングでの交代劇となった。
二人の対抗馬が敗れたワケ
後任として有力視されていたのが、3人の副社長たちだ。前田氏のほかは、田村穂積氏と栗山浩樹氏の2人である。
田村氏は上智大学大学院理工学研究科を1987年に修了後、NTTに入社した。理系出身者として技術畑を歩き、ドコモに転じた後は、経営企画部担当部長やスマートライフ推進部長を経て、2017年に取締役に。2021年に副社長に昇格し、通信事業統括責任者を務めていた。ドコモにとって、重要なポストである。
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本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「NTT生え抜き組に打ち勝って リクルート出身・前田氏がドコモ社長に就任できた理由」)。