金日成のフランス語通訳を務めた高英煥(コ・ヨンファン)氏の著書『平壌25時』(徳間文庫)によれば、北朝鮮軽工業委員会被服総局に金福信(キム・ボクシン)という女性の総局長がいた。当時、ソ連は毎年、北朝鮮に軽工業の原料を輸出していたが、北朝鮮が代金を支払わないため、輸出を止めることを決めた。
金福信氏はモスクワにあるソ連軽工業担当副首相の執務室の前に日参した。ソ連副首相があきれて「半分でも代金を支払えば、原料を送るのに、ほとんど返さないではないか」となじったが、あきらめなかった。最後にソ連は根負けした。金福信氏は北朝鮮で高い評価を受け、金日成勲章を受賞し、副首相にまで出世した。
2011年には、ロシアは旧ソ連時代の北朝鮮の借金約110億ドルのうちの100億ドルを棒引きにした。当時、死期が近いことを悟った金正日総書記が、金正恩氏の権力基盤を固めるために行った作業の一つとされるが、ロシアにしてみればたまったものではないだろう。
留学生に仕掛けた“甘い罠”
北朝鮮がソ連(ロシア)から得たものは、経済的な恩恵だけではない。北朝鮮は1980年代、旧ソ連のフルンゼ軍事アカデミーに留学生を派遣していた。当時の留学経験者によれば、アカデミーへの留学期間は5年で、学年ごとに70人、計350人の北朝鮮留学生がいたという。アカデミーには、ルーマニアやハンガリーなど、東欧諸国の軍人たちも留学していた。
北朝鮮の留学生は、一般的な軍事理論や戦史については他の国からの留学生とともに受講した。米軍や韓国軍、自衛隊の戦術などについては、個別に北朝鮮留学生だけを対象にした講義を受けたという。東欧諸国の留学生は北大西洋条約機構(NATO)軍の戦術を学んだ。
ここで、北朝鮮留学生が「学んだ」ことが別にあった。ソ連国家保安委員会(KGB)によるスパイ工作だった。元留学生は「北朝鮮からの送金額はごくわずかだった。それで、本国にだまって、シャープペンシルや電卓などを売って金に換えていた。KGBはそれを北朝鮮にバラすと、私たちを脅して、スパイになるよう強要した」と語る。KGBは留学生が持っている情報が欲しかったわけではなく、本国に戻って北朝鮮軍中枢で働くようになった後、情報源として利用しようと考えていたという。