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 そのまま喜劇の対象になっていく会話の中でビョンスの映画を「笑いながら観ている」とソニに言わせているのは、自分たちが今作っている映画への希望のように感じられる。

 そして二人の間に性的なものが流れ、言葉が途切れた時にビョンスがソニに「怖いですか?」と言うなど「もっと笑いましょう」と言われているようで嬉しくなる。

4階で生活を共にするビョンスと不動産業者のジヨン(チョ・ユニ)。ジヨンが食べさせているのは焼肉 だ © 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.

絶えず無の中で動くから、ひたすら喜劇の駒になっていく

 さておいた荒野問題。もしやそれは述べてきた喜劇の本質にかかわることなのかもしれない。

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 知性、言葉、倫理など、人が進歩するための助けになってきたものが無に帰した時、人間の喜劇性は明るみに出ると思うけれど、それは別の言い方をするなら、足場がないところで立っていなきゃならない人の定め、その定めを笑おうとすることのような気がする。

 欲望がある者は、対象に向かい欲望を達成するためのキックボードがある。だけど欲望を持ちえぬことになった者は向かうべき対象がないから、キックするためのボードもない。絶えず無の中で動くから、ひたすら喜劇の駒になっていくという次第だ。