いかにも女性にモテるホン・サンス監督の作品だと思う。いや、実際にモテるのかどうかは知らない。「モテたい」という思いから来る喜怒哀楽の匂いは遠く、描かれているのは「モテたけど…」という向かう先のわからない荒野が用意されているだけ。

 荒野? …ま、その問題はさておき、『WALK UP』はそんな映画だとまずは言っておこう。

 ほぼホン・サンスその人だと思わされる主人公の映画監督ビョンスはすでに名声を得ているようだが、今映画作りは頓挫している。顧みなかった家族への贖罪のように自分の娘の将来を考えた行動に出たのだが、そこでおそらく人生そのものがずっとそうだった、という事態、すなわち自己回顧の状況に身を置くことになるのだ。

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 それを4階建てのアパートの各階を移動することで表現するというのがこの映画の構造。

ヘオクがビョンス&ジョンス親子にアパートのなかを案内した後、3人は地下で和やかに語り合う。仕事の連絡が入ってその場をビョンスが離れ、しばらくヘオクとジョンス2人で話すことに。しかしビョンスが戻ってくると、既に娘のジョンスの姿はなく…。その後、映画は不思議な“上昇”へと移行する © 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.

チェーホフを彷彿とさせるセリフが随所に

 随所随所で、チェーホフのセリフを彷彿とさせるのだが、これは故なきことではないように感じる。

 娘のジョンスがヘオクに私を使ってくださるのなら~~というところ(『かもめ』で、ニーナがトリゴーリンに有名になるためだったらどんなことでも耐えていけると言うところ)とか、ビョンスがソニに映画業界の問題点を力説するところ(『ワーニャ伯父さん』でアーストロフが森林伐採のことをエレーナに言うところ)とか。

レストラン店主兼シェフのソニ(ソン・ソンミ)とビョンスは、2階で食事を共にした後、3階で共同生活を送るようになる。ソニはビョンスに野菜を摂るよう勧める © 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.

 特にヘオクが中座して二人になったビョンスとソニの会話は、言葉がその意味通りのことを伝えるものではなく、むしろ人がそれにすがろうとしている可笑しみを表現していると感じさせてくれるところなど、実にチェーホフ的である。