ところが、そこで突然、中名生計画官が流ちょうなフランス語でしゃべり始め、タクシーはOECDに一度戻って、事なきを得た。私は1年あまりジュネーブに住んでいたので、フランス語はしゃべれなくなっていたものの、その人のフランス語能力はわかる。計画官のフランス語は完璧だった。
「計画官はフランス語がしゃべれるんですね」という私の問いかけに計画官は、「昔、パリのジェトロで働いたことがあるからね」と言った。
「だったら、会議のとき、なぜフランス語を話さなかったんですか」
「森永、なぜ大使館に通訳専門官がいるかわかるか。外交の場というのは、正確な言語のニュアンスまで問われるんだ。中途半端な語学能力で現地の言葉を使うと、あとあとトラブルの原因になるんだよ」
あえて誰とは言わないが、ある外務大臣は、海外出張の際、自らアポイントを取り、そして語学能力を生かして、積極的に英語で会話をしているという。それが能力の高さの証明だと言われているのだが、私は「本当に大丈夫なのか」と思ってしまうのだ。
ちなみに中名生計画官は、その後、事務方トップの事務次官にまでのぼり詰めた。
最後の責任は上司が取ってくれることを知った私は、興味の赴くまま、自分の仕事以外にも手を出していった。
「物書き」としても成功できた理由
そして、経済モデル(将来を予測するための経済の模型)をいじっているとき、近い将来、株価や地価が暴騰することを知った。1985年のことだ。
私は「バブルが来るぞ」と庁内を叫んで歩いたのだが、誰も信用してくれない。
頭にきた私は、所沢に2680万円の中古の戸建て住宅を購入した。年収300万円で、住宅ローン金利が7%の時代だ。長男が生まれていたのに、わが家の月給は、住宅ローンを支払うと手取り6万円台という極貧生活に陥ってしまった。夕食のおかずがどんどん悪化していき、おかずが「ひじき」だけという日まで出てきた。それでも節約のおかげで生活はなんとかなったが、たとえば、同期が結婚すると、お祝いが出せない。
困った私は「省力と自動化」という雑誌に、ニュース解説記事を1コマ5000円で書かせてもらうことにした。そのとき、ライターの先輩から忠告されたことがある。
「親が死んでも締切厳守」ということだ。
生活苦から仕事を始め、これまでつねに20本以上の連載を抱えてきたが、穴を開けたことは一度もない。住宅ローンのおかげで、私は「物書き」という新しい遊びを手に入れることができたのだ。