2017年、千葉の松戸で殺害されたレェ・ティ・ニャット・リンさん(当時9歳)。「日本とベトナムをつなぐ架け橋になりたい」という夢を持つ幼い少女はなぜ殺されたのか? 事件後の家族や加害者を追った高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「日影のこえ」による新刊『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「日本とベトナムをつなぐ架け橋になりたい」
小学校の入学式直前に撮られた動画には、家族の何気ない日常が記録されていた東京タワーを中心として広がる、東京・芝公園の一角である。雲一つない空の下、遊歩道でスマホのカメラを構えるベトナム国籍の父親レェ・アイン・ハオ(事件当時34歳。千葉県松戸市在住)を目指して、ピンク色の靴を履いた娘のレェ・ティ・ニャット・リン(同9歳)が楽しそうに駆け寄る。絵に描いたような、強い絆で結ばれた家族の理想の休日像である。だが、この動画が撮られた約3年後の2017年3月24日、少女は行方不明になった。
その日、元気よく登校したリン。授業が終われば、いつもは15時には帰宅していた。ところが、夕方になっても、夜が明けても帰ってこない。両親の要請で、警察や地域住民による捜索が始まる。そして3月26日、自宅から約10キロ離れた千葉県我孫子市の排水路脇で、少女は冷たい雨が降るなか遺体で発見された。
その約3週間後に逮捕されたのは、渋谷恭正(同46歳)。リンが通う小学校の保護者会で会長を務め、通学路で子供たちを見守る活動までしていた男だった。なぜ、渋谷はリンを狙ったのか。動機は裁判でも明らかになっていない。ただし、リンが出生よりこのかた眩いばかりに輝いていたことは、学校の授業で書いた作文の一節にはっきりと残されている。
〈日本とベトナムをつなぐ架け橋になりたい〉