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家族をベトナムに残し、2007年から単身日本でIT技術者として働いていたハオも娘と同じ思いだった。
「小学生がひとりでランドセルを背負って学校に行く姿を見て、感動しました。日本はなんて安全で良い国なんだろうと。ベトナムでは考えられないことです。だから自分の子供にも日本で育ってほしいと思っていました。日本とベトナムの架け橋になるような人間に育ってほしいと」
ハオは、娘リンのミドルネームをベトナム語で日本を意味する「ニャット」とし、生まれてすぐに家族と共に日本に呼び寄せた。しかし皮肉にも、父の願いは最悪の結果を招く。まだ小学3年生ながらも、異国の地で暮らす外国人ならではの夢を抱いていた少女は、顔見知りの男の犯行により不慮の死を遂げるのである。
死体遺棄現場にはピンク色の祠(ほこら)が…
2021年4月、私は事件から実に4年ぶりにリンの死体遺棄現場に立っていた。現地の光景は当時と変わっていない。用水路の奥に広がる、まだ田植え前の田園。秋には一面に黄金色の稲穂が実ることだろう。
唯一変わっていたのは、祠が建てられていたことだ。リンが好きだったピンク色の小さな殿舎である。彼女の生前写真はピンク色の服を着るものばかりであることからも、ハオが建てたものに違いない。新しい花がいくつも手向けられている。ここだけは生命が宿っていた。
現場に来た目的は事件の総括である。少しでもリンの足取りを明確にしておきたい。