映像制作ユニット「こねこフィルム」によるショートドラマ『年齢確認VSプライド』での演技が注目を集める女優・赤間麻里子(53)。今年は朝ドラ『虎に翼』(NHK)や『アンメット』(フジテレビ系)に出演し、53歳にしてついにブレイクを果たした赤間が、無名塾時代の挫折、育児による10年のブランク、そして映画初出演後に発覚した病について初めて語った。(全3回の2回目/#1から読む)
◇◇◇
結婚し、30代はほとんど子育てに専念
――無名塾時代はテレビドラマを中心に活動していた赤間さんですが、約10年在籍した後にフリーに転身されましたね。
「仲代さんも無名塾も大好きでしたが、ここにいたら甘えてしまうと思い、一人で生きていくためにも思い切って独立しました」
――同じ頃に、無名塾出身の俳優・高川裕也さんとご結婚されています。
「はい。子供も3人生まれたので、30代はほとんど子育てに専念していました」
――子育てによってキャリアが中断されることに不安はありましたか?
「そうですね。テレビをつければ、仲間たちが活躍していて、私だけがポツンと取り残された気持ちになる。急に涙があふれてくることもありました。でも、芝居は何歳になってもできるけど、子供たちの成長を見られるのは今しかない。ここで子育てに全部のエネルギーをかけないと、それはそれで後悔すると思いました。だから、もし子育てをやり切った後に、憑き物が落ちたようにお芝居への気持ちがなくなっていれば、役者への思いはそんなもんだったんだな。それならそれでいいじゃないか。と、自分に言い聞かせていましたね」
38歳のある日、スポーツニュースを見て号泣した
――2つの気持ちの間で揺れ動いていたんですね。
「でも、38歳のある日、その日のことは今でもはっきり覚えているんですが、まだ小さかった3人の子供を寝かしつけたあと、へとへとで洗濯物を畳みながら、テレビのスポーツニュースを見ていたんです。そうしたら、当時阪神タイガースにいた下柳剛投手のインタビューが流れていました。『40歳を過ぎても現役投手をされている理由は何ですか』と聞かれた下柳さんは、『みんなは40歳を過ぎるとやめる理由を探すけど、僕はやる理由を探し続けてやってるだけなんです』と答えていらした。私、それを聞いて号泣しちゃったんです。私は子育てが大変だからとか、そうやって言い訳をして自分が傷つかない引退の仕方をどこかでずっと探していた気がするんです。でも、本当は私、ずっと芝居がやりたかったんですよね」