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無名塾に入った初日、19歳の私が日記に記したこと

――ご自分の本当の気持ちにお気づきになった。

「その数カ月後です。急に母から『無名塾のダメ出し帳がダンボールいっぱいあるけどどうする?』と連絡があって。捨ててもいいけどちょっと見てみようかなと思って取りにいったら、無名塾に入った初日の日記が出てきました。私はそこに『40歳になって何者にもなっていなかったら潔くやめること』って書いてあったんです。19歳の私にとって、40歳にもなって売れないのは、才能のない証拠。『しがみつくのはみっともなしいし、恥ずかしいから潔く辞めなさい』と、自分に警告していたと思うんです」

――その言葉を40歳を目前に受け取ってしまって。

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赤間麻里子 ©文藝春秋

「ああ、私、今みっともないんだろうなと思いながら、じゃあここで人生をかけて、一番仕事をご一緒したい人にダイレクトに連絡を取ってみようと思い立ちました。コンタクトを取ったのは原田眞人監督です。監督が開いていたワークショップに参加し、『KAMIKAZE TAXI』を観て、立ち上がれなくなるほど感銘を受けたことや、監督の作品のどんなところが好きかを書いた手紙を最終日に手渡しました」

初めての映画の撮影は「めちゃめちゃ怖かった」

――ラブレターですね。

「恋が実ったのか(笑)、原田監督から映画好きの仲間を集めて開いている映画の勉強会に誘っていただくことになったんです。その流れでオーディションを受けて、出演が決まったのが、原田監督の映画『わが母の記』(2012)でした」

――それが赤間さんの映画デビューになりました。当時41歳でいらっしゃいました。初めての映画の撮影はいかがでしたか?

「めちゃめちゃ怖かったです。スタッフも共演者も、これだけ年をとってる私がまさか映画が初めてだとは思わないんですよ。映画用語が飛び交っているけど、何のことかわかんないし、監督は怖いし(笑)」

赤間麻里子 ©文藝春秋

――赤間さんが演じたのは、役所広司さん演じる作家の妻役。樹木希林さん演じる義母を介護するシーンが印象的でした。

「極度の緊張状態の日々でした。中でも強く記憶にのこっているのは認知症で暴れてしまう義母を、嫁が宥めるというシーンがあったのですが、何度リハーサルをやっても、うまくいかなくて」