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「凡百の専門書よりも核心を突いた1冊」取材期間は8年…警察、検察の堕落を描き切った異色の小説『人質の法廷』が炙り出す“この国の実態”

「凡百の専門書よりも核心を突いた1冊」取材期間は8年…警察、検察の堕落を描き切った異色の小説『人質の法廷』が炙り出す“この国の実態”

2024/07/16
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 人質司法とは、否認供述や黙秘している被疑者らを拘留し自白を強要する悪名高き司法制度である。

 東京五輪を巡る汚職事件で逮捕・起訴された角川歴彦KADOKAWA前会長は、幾度も体調不良を訴えたが保釈は却下された。拘留期間226日。肉体的・精神的苦痛を受けたとして目下、国賠訴訟を起こしている。過去の冤罪事件を挙げるまでもなく、司法の実態はかくも酷い。

 日本の司法制度を取材しつづけるジャーナリストの青木理氏が、「凡百の専門書やノンフィクションよりもはるかに深く現実=事実の核心を突いた一冊」と評した小説がある。作家・里見蘭氏によるリーガルサスペンス『人質の法廷』だ。

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ジャーナリスト・青木理氏

 物語は、東京都内で発生した冷酷な女子中学生連続殺人事件で幕をあける。逮捕されたのは現場近くに暮らす40代男性。彼の弁護を任された女性弁護士は、男性が自白を強いられたことを知り、冤罪を晴らすために奔走するが……。これだけだと、いわゆる“勧善懲悪”もの、または、弱者のために真実を明かすリーガル・ドラマに思われそうだ。しかし、そんな生易しいストーリーではない。小説ながら、8年にも及んだという取材成果をまとめたという本書には、警察、検察の堕落がこれでもかと描かれている。青木理氏が異色の小説の魅力に迫った。

◇◇◇

里見蘭氏の『人質の法廷』

刑事司法に満ち満ちた矛盾や不正義とは具体的に何か

 事実は小説よりも奇なものだと、英国の詩人は19世紀に評した。いまさらながら言い得て妙、現実の社会は往々にして凡百の小説などよりはるかに怪奇性と複雑性に満ち、矛盾と不正義にも溢れている。本作がテーマとしたこの国の刑事司法はその極北のひとつだと私は思う。

 だが、決して言葉遊びではなく、本作はその矛盾と不正義に満ち満ちた刑事司法の現実=事実を小説へと——しかも読み応えのあるエンターテインメント小説へと見事に昇華させている。

 では、この国の刑事司法に満ち満ちた矛盾や不正義とは具体的に何か。

 挙げはじめればキリはないのだが、さして詳しい注釈も加えずにざっと列挙すれば——①警察に身柄を拘束されるとその警察管理下の留置施設に放り込まれてしまう「代用監獄」、②相変わらず自白偏重の姿勢から脱却できない警察、検察と、密室の中で延々と長時間続けられる苛烈な取り調べ、③被疑事実を否認すれば、起訴後も保釈がなかなか認められず、信じがたいほどの長期勾留が続いてしまう「人質司法」、④警察や検察が捜査の過程で収集した証拠類を独占し、仮に被疑者・被告人に有利な証拠類があっても隠されてしまう陋習、そして⑤各種令状の発付や身柄勾留等の判断を含め、ひたすら検察の言い分に唯々諾々と追随してしまいがちな司法権の砦=裁判所——。

人質司法を告発した角川歴彦・元KADOKAWA会長

 さらにつけ加えるなら、世界的には廃止が圧倒的な潮流となっている死刑制度にいまだ固執し、しかもその運用状況がおそろしく秘密主義的なこと等々もあわせ、いわゆる先進民主主義国の刑事司法ではおよそ考えられないほど後進的な悪弊がいくつも温存されてしまっている。