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薬師丸を突き動かしたニューヨークのカウンセラーの言葉

 独立後もしばらくはそれまでと同じく毎年1~2作のペースで映画に出演を続けるが、主演した『ナースコール』(1993年)公開後、2004年までの10年あまりは2作にとどまる。この間、1996年にはミュージカル『雨に唄えば』で初舞台を踏み、翌年、『ミセスシンデレラ』で連続ドラマに初主演したのを皮切りにテレビドラマにも本格的に進出する。

2001年4月、当時36歳の薬師丸ひろ子 ©時事通信社

 ただし、ずっと順風満帆だったわけではなく、作品に恵まれなかったり、壁にぶち当たったときもあった。ニューヨークによく行っていた30代の頃、人から紹介された現地のカウンセラーに「自分がなぜこの仕事をしているのかわからない」と吐露したところ、「何年やっているのか」と訊かれ、その時点で20年以上と答えると、相手は肩をすくめて「もう悩まなくていいんじゃない? もしこの仕事が嫌いだったら、とっくに病気になったりしてやめていると思う」ときっぱり言われたという(『週刊朝日』2006年2月3日号、『家庭画報』2022年1月号)。500ドルほど払ってほんの一言ではあったが、その言葉がその後の薬師丸を突き動かすことになる。

子供を持つ役で立て続けに映画へ出演

 40代に入ろうかという頃には、やはりニューヨークで、相手の過去などを見る「リーディング」と呼ばれる人と話す機会があり、「“リユニオン”だ」と言われた。リユニオンの“リ”はリターンと同じ意味のリで、《もう一回、自分のユニオンというか、元のあったところに[引用者注:戻る]、と言われて。それと、中途半端な年齢を過ごしている時にはむずかしいのかもしれないですけれど、ある程度、私の年齢が上がってくると、お母さんをやるということになっても抵抗なくやりきれる、と》告げられたという(『キネマ旬報』2005年11月上旬号)。

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 この言葉は的中し、2005年から翌年にかけて『レイクサイド マーダーケース』『鉄人28号』『オペレッタ狸御殿』『ALWAYS 三丁目の夕日』『あおげば尊し』と、約10年ぶりに映画へ立て続けに出演、しかもほとんどが子供を持つ役であった。

村上茉愛 ©文藝春秋

 同時期にはドラマ『1リットルの涙』『ウメ子』(いずれも2005年)でもヒロインの母親を演じている。この2作は撮影が重なり、薬師丸は生まれて初めて仕事を掛け持ちした。ちなみに『ウメ子』ではヒロインが公募で選ばれ、当時9歳ですでに体操選手だった村上茉愛(2021年の東京五輪の銅メダリスト)が演じている。