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歌手としては作詞家の松本隆との出会いも大きかった。松本は、薬師丸の主演映画の主題歌をはじめヒット曲を作詞したほか、自らプロデュースして『花図鑑』(1986年)という彼女のアルバムも手がけている。『花図鑑』では松本と薬師丸が話し合いながら作曲家を選び、結果、筒美京平や井上陽水など豪華な作家陣が結集した。
20歳の誕生日を自身初のコンサートで飾った薬師丸は、今年6月には60歳の還暦を迎えた。これと前後して、3~4月には東京と大阪でプレミアムコンサート、6月には初のフルオーケストラによるコンサートを東京・兵庫で開催した。さらに9月からはコンサートツアーを12月まで全国14都市で行う予定である。節目の年にこれだけ精力的にライブをこなすことからも、薬師丸のなかでは歌手活動がいまだに重要な位置を占めているとわかる。
“独立”という決断を20歳にして実現していた
角川映画で人気絶頂のころから彼女のファンには女の子が多く、その理由として《彼女は学校に通い、芸能界の仕事をしながら、あやつり人形ではなく、高校から大学に行きたい、こういう仕事をしたいという自らの意志を持ち実現化させてきたからではないか》と、当時、映画評論家の野村正昭は指摘した(『キネマ旬報』1983年8月下旬号)。
その後、事務所から独立してフリーランスになったのも、先述のとおり彼女の意志による。最近こそ人気芸能人が大手事務所から独立することがあいついでいるが、それを薬師丸は40年近くも前に、しかも20歳にしてそれを実現していたことに改めて驚かざるをえない。