SNSで「ハニートラップ」と非難の標的に
ジャーナリスト・伊藤詩織さんのケースを思い出してみましょう。昨年、彼女はかなり異例の、そして彼女自身にとってリスクの高い方法で、ある年長のジャーナリストによって2015年にホテルの一室でレイプされたと公表しました。伊藤さんの主張は一部で報道されましたが、それは主として外国の報道機関によるもので、日本国内ではおおむね黙殺されました。一方、伊藤さんのことを「売春婦」だとレッテルを貼るソーシャルメディアのユーザーたちによって、敵対勢力を誘惑した「ハニートラップ」であると非難の標的にされたのです。
セクハラ疑惑を否定した福田氏をめぐる論争は、公的機関におけるセクハラ対応が根源的に変わることの難しさを物語っています。
一部では、記者たちと取材対象である官僚たちの関係は大きく変わるだろうとの声もあります。彼らは「本当に両者が適切な関係であると言えるのだろうか」と問うているのです。「女性記者と男性官僚が、仕事が終わってから、ときには一対一になってバーで一緒に飲む? そんなのはトラブルを起こしてくれと自分から言っているようなものだろう」と。
ただ、私に言わせれば、これは的外れな意見です。一人の職業人としては“ヨウチアサガケ”の取材手法には疑問を感じないわけではありませんが、だからといって男性記者でも、女性記者でも、通常のオフィスアワーの後に官僚と話せる機会は必要です。省庁の記者会見室であろうが、やや薄暗いバーであろうが、性的に不適切な言動に怯えることなく取材できる。それが動かぬ大前提のはずです。
韓国の#MeTooデモには文在寅大統領の姿も
東アジアにおいて、ようやくセクハラ撲滅に向けて重い腰をあげたのは日本だけではありません。男性社会であるとされる韓国でも、現役の女性検事ソ・ジヒョン氏が「2010年に葬儀場で元法務省幹部からセクハラを受けた」と告発した際には、何百人もの女性が抗議活動を行いました。
中国でさえ、当局による検閲や社会的圧力ではセクハラをめぐる議論の勃興を抑えることができず、主として大学生たちが一番槍となってネット上で広がりをみせています。
緩慢ではありますが、日本でも物事は変化しています。総務相・女性活躍担当相である野田聖子氏が、メディア業界で働く女性たちとセクハラについて積極的な意見交換の場を設けたいと表明したことは好意的に受け止めたいと思います。
ただ、財務省のスキャンダル自体がセクハラ被害に悩む女性たちを勇気づけるわけではなく、また問題は政治やメディアの世界に限った話ではありません。より不安定な職に就いている何百万人もの女性たちは、補償を求めることによって失うものが大きいのです。
つい最近、韓国の女性たちが#MeTooデモをソウルで行った際には、演説者の一人は文在寅大統領でした。彼はこう主張していました。
「法だけで解決することはできない。私たちの文化と態度を変える必要がある」
あるいは、次は「女性活躍社会」を掲げる安倍晋三首相が、同じようにセクハラを根絶すべく立ち上がる番なのかもしれません。時代遅れの財務大臣がいくら怒ったとしても。