牧、ありがとう。こんな気持ちは知らなかったよ
年が明けて3月、それまでの自分なら見なかったであろうWBCをほんの出来心で見始めた。
それからは早かった。何かに憑かれたように選手が出ているSNSを見て、選手名鑑を買い、グローブを買い、ベイスターズのファンクラブに入った。
選手の出身校や交友関係を嬉々として話し出す私を見て、母は慄いていた。
毎日母と野球中継を見ることが習慣になって、仕事の時や友人と会う時にはトイレに行く度に一球速報をチェックした。
子供の頃からホエールズもベイスターズも弱いチームだと教えられてきたから、4月に4年ぶりの首位に立つもすぐにその座を明け渡した時には、「ああ、やっぱりね」と、どこか懐かしく、なんだか妙に安心してしまった。だからその後の快進撃で交流戦優勝を果たし、リーグ戦再開後の阪神戦で3タテを食らわせて再び首位に返り咲いた時には信じられないような気持ちだった。私の信じる気持ちが足りなかったせいか、最大で12あった貯金は8月を迎える頃には4しかなくなり、試合を淀んだ目で見ることが増えていた。
8月4日の阪神戦、5回を終えて0-1の1点ビハインド。たかが1点されど1点。試合は全く動かず、今日もダメかと心が荒み始めた6回裏、牧が村上頌樹から2ランホームランを放った。うなだれる村上、盛り上がる球場、叫びながらハイタッチする71歳の母と40歳の出戻り娘。涙が出そうだった。牧、ありがとう。本当にありがとう。こんな気持ちは知らなかったよ。結局その試合は負けてしまったけれど、8月に牧は7本のホームランを打ち、そのうちの5本は胸のすくような素晴らしい5本で、9月に私は牧のユニフォームを買った。
母が生きている間にはもう一度くらい見れるだろうか
「俺トイレで泣いたよ」と、父は言っていた。1998年、ベイスターズが優勝したその翌朝か、数年後かにその感想を求めた時だったか、記憶はさだかではないけれど。「もう生きてるうちに優勝は見れないかもね」なんて笑っていたら、本当にそうなってしまった。
母が生きている間にはもう一度くらい見れるだろうか。
その時はきっと私も泣くだろう。
小学生の頃に、クラスの男子が遊んでいるプラスチックのバットを私も欲しいとねだったら、父は赤い木製のバットを買ってきた。こういうのじゃないんだよとふてくされていたけれど、そのバットに慣れる頃にはプラのバットは軽すぎて、うまく扱えなくなっていた。そのバットはもう今の私には短くて、姉と参加するようになった草野球にも持って行けない。でも手放すこともできなくて、いつか来る1人で暮らす時に、お守りとして玄関先にでも置こうかと思っている。
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