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 あのワークショップのシーンを出すことで、卓が脚本を読むだけではない、もっと能動的にクリエイトする俳優なのだと印象付けることができたのかなと。

――映画の最初と最後に出てくるワークショップのシーンは、「同じ時間に同じ人物が演じたワークショップをただ前後に分けただけ」とは思えないほど、まるで違った印象を受けました。

 それは編集の妙です(笑)。演じている側も撮影している側も、何が起こるかわからないという状況のなか、ドキュメンタリーとして撮影している合間に撮影したカットが、たまたまそう見えたということなのだと思います。

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 ただ、イヨネスコの戯曲自体が、陽二さんの物語と重なるところがあるので、どのように切り取られてもきっとそう見えるようになるのだろうなというのは、演じながら感じていたところはあります。

藤さんとの対峙はまさに「居合」

――卓の父・陽二を演じた藤竜也さんも圧巻の演技でした。ご一緒されて、いかがでしたか。

 藤さんはこれまで僕が会ったなかでも非常に印象的な映画人のおひとりだといえます。

 藤さんが「居合」という言葉を使われましたが、藤さんとの対峙はまさにその「居合」だったような感覚がありました。

 そして、僕が考える良い映画の現場というのはまさに「居合」のようなものです。

 舞台でのパフォーマンスは、本番を迎えるまで1カ月以上かけて練習を重ね、関係性を構築していきますが、映画の現場はそういう「練習」や「リハーサル」を重ねるよりも、すべての部署が初めての現場に一堂に会して、その場で火花を散らすことを好む傾向がある気がします。日本においては、なのかもしれませんが。

森山未來さん。

――緊張感のある現場だったのですね。

 そうですね。ヒリヒリする「居合」のような瞬間の感覚こそが、僕が映画の現場を好きな理由でもありますが、『大いなる不在』はその緊張感のある現場でした。

 また、今作は35mmフィルムを使っての撮影だったので、デジタルのように気軽にたくさん撮ることができませんでした。啓さんは、フィルム数を惜しむような雰囲気こそ出していませんでしたが、「この一コマを逃さない」というような緊張感も、常に現場に漂っていました。だからこそ、いい現場になったのではないかという感じはしています。