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「おねだり」でもなく「ミラーリング」でもなく「自由に黙らない」でもなく…批判され続けた田中角栄が語っていた“政治家に最も必要なこと”

11時間前
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 雪深い新潟の農家に生まれ、小学校卒の学歴しかない。裸一貫で上京し、建設会社の経営を経て政界入りした。持ち前のエネルギー、官僚を操る手腕で総理大臣の座を掴んだ。

角栄と令和の政治家の“違い”

 一方で田中には、“金権政治”のダーティーなイメージがついて回った。権力を握るため、政界に札束をばら撒いたとの疑惑だ。結局、金脈を追及され退陣、後に戦後最大の疑獄「ロッキード事件」で逮捕された。

©文藝春秋

 かつて私は、田中とロッキード事件についての本を書いたことがある。その時、田中の元秘書や自民党、野党の関係者、地元の人々を訪ねて話を聞いた。そこで驚いたのは、誰一人、彼の悪口を言う者がいないことだった。

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 中には、熾烈な権力闘争で真っ向からぶつかった者もいる。それが今でも、田中とのやり取りを懐かしがっているようだった。あれほど強烈な個性の持ち主が、なぜ。その答えの片鱗は、彼に20年以上仕えた秘書、早坂茂三の著書を読んで分かった。

政治家に必要な「敵を減らすこと」

 1962年の暮れ、大蔵大臣だった田中がこう訊いたという。政治家として頂上を極めるには、何が必要か。

「味方を作り、増やすことです」

 早坂が即答すると、田中が切り返した。

「違うな。逆だ。敵を減らすことなんだ」

 そして、そのための心得を諄々と説いてきた。“人の好き嫌いはするな。誰に対しても一視同仁。いつでも平らに接しろ。来る者は拒まず、去る者は追わず。他人のために汗を流せ。できるだけ面倒を見ることだ。手柄は先輩や仲間に譲れ。損して得を取れ。進んで泥をかぶれ。約束事は実行せよ。やれそうもないことは引き受けるな”。

「これを長い間、続けていけば敵が減る。多少とも好意を寄せてくれる広大な中間地帯ができる。大将になるための道が開かれていく」

「味方というのは、一緒に死んでくれる奴のことだ。そんなのがザラにいるはずはない。やみくもに味方を作ろうとして、相手の性根も確かめず、コメツキバッタの真似ごとをするな。味方顔した連中は、こっちの雲行きが危うくなれば、すたこら逃げ出すに決まってる。そんな手合いに頭を下げ、愛想を振りまくのは、愚か者のすることだ」(『オヤジの知恵』)

 これまたいかにも昭和、時代がかった親父の説教に聞こえなくもない。ここで、政治家としての田中の功罪には触れない。だが、小学校卒でエリートを使いこなそうという気迫は伝わる。東京大学卒で総務省入りし、知事になった斎藤氏と明らかに違う。だからこそ、周りも全力で支えようとした。

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