文春オンライン

「おねだり」でもなく「ミラーリング」でもなく「自由に黙らない」でもなく…批判され続けた田中角栄が語っていた“政治家に最も必要なこと”

11時間前
note

真冬の山道を1時間も歩いて角栄に会いに来た老女

 そして、それは選挙でも発揮された。ロッキード事件で逮捕された後、1976年12月の総選挙で、田中は約17万票という大量得票でトップ当選する。保釈から4カ月後、金権政治の権化とされる中でだ。これには朝日新聞も驚き、「日本で最低の政治意識」とのコメントを載せた。

 地元では、山間の辺鄙な村ほど田中支持が強い。立会演説に「角さんが来なっしゃる」と、1時間も山道を歩いてきた86歳の老女もいた。真冬に、しかも日本有数の豪雪地帯である。下手すると命に関わる。これこそ田中の言う、“一緒に死んでくれる”味方だった。

 むろん、今の選挙はユーチューブやSNSで様変わりした。だが、たかが数十年で人間の本質はそうそう変わらない。

ADVERTISEMENT

 今後、石丸氏が国政に進出するか、都道府県の首長をめざすか、あるいは新党を作るか、明らかでない。だが記者会見やインタビューを観ると、敵と味方を峻別し、分かり易いメッセージを出しているようだ。「恥を知れ!」の言葉は強烈で、それがさらに支持者を熱狂させる。

 これがはたして、一緒に死んでくれる味方か、すたこら逃げ出す輩か、それとも広大な中間地帯になるのか。それによって運命が変わるだろう。

 一方、蓮舫氏は、田中の元秘書、早坂に重なって見えてならない。じつは、若い頃の彼は共産党員、それもバリバリの活動家だった。

 函館出身の早坂は、戦後間もない1950年、早稲田大学に入学した。そこですぐに日本共産党に入党したという。マルクスやレーニンの本を読み、デモ隊の先頭に立った。折しも朝鮮戦争で世情は騒然とし、公務執行妨害で逮捕、留置場にぶち込まれた。

 本人は、社会正義の実現に真剣だったが、次第に葛藤も感じたらしい。後にこう振り返っている。

関連記事