ちゃんと真実を言い残しておきたい

 炎上に呑まれ、ひとりのミュージシャンが表舞台から消えていく。ノンフィクションライターの中原一歩さんはこの「小山田事件」の過程を追った。

 武勇伝のように語られたイジメ記事の事実関係の検証から始め、小山田氏当人への聞き取り、イジメの相手への取材まで重ね、『小山田圭吾 炎上の「嘘」――東京五輪騒動の知られざる真相』を上梓した。

「騒動の最中、考えに考え、事実関係を僕なりに整理して『声明文』を出したりもしました。ですが、炎上が発端で広まった情報って、虚構だろうがなんだろうが、後からどれだけ修正しようとしてもほぼ更新されないんだというのが僕の実感です。中原さんの取材を受けたのは、炎上の1カ月半後でした。炎上経験を語るのはつらいことでしたが、事実を調べるために取材に来てくださったことがわかりましたし、ちゃんと真実を言い残しておきたいと思い、取材に協力したんです」

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炎上騒動の全てを追った『小山田圭吾 炎上の「嘘」――東京五輪騒動の知られざる真相』(文藝春秋)

東京五輪の開会式の頃の記憶がない

 辞任に追い込まれ、活動休止を余儀なくされた時期のことを小山田氏はよく覚えていないという。

「周囲の人からは『かなりおかしかった』『死んでしまうと思った』と言われました。電話で話すときの声の調子や、普段やらない食器拭きを急にやりはじめたりで、はた目にはけっこう異常と映っていたようです。でも当人にはおかしな状態だって自覚はなかったし、いまもその頃、何を考えていたのかあまり覚えてないんです。だから、東京五輪の開会式の頃の記憶がないんですよね」

僕の復帰の舞台を用意してくれた

 復帰は翌22年。立て続けに2つのロックフェスに出演を果たす。事前の発表で演者のラインナップに小山田氏の名前が躍っても、大炎上などなかったかのように、ネットは無風だった。

「普通、この2つのフェスは同じ年に掛け持ちさせてもらえることはないんです。だけどこの年は、フェスの主催者同士が話をつけて、僕の復帰の舞台を用意してくれたと聞きました。すごく嬉しかった。レコード会社の担当者も心配してくれていて、その厚意に応えたいと、徐々にアルバム制作のため音楽を作り始めました」

 東京五輪開会式用の楽曲は、炎上前にすでに納品済みだったというが、いまだどこにも公開されていない。

「人生で精神的なつらさはあの夏がピークでした」

 ソロ活動30周年を迎えた小山田氏は旺盛な活動を続けている。