ヒーローという絵空事の世界を描きながらも本作が生々しく感じられるのは、作者の肉体に対するこだわりゆえだが、「無個性」の落ちこぼれだということを過剰に意識しているからこそ、デクは少しでも早く成長したいと考えており、そのためなら怪我をしても構わないと思っている。
自分のことを顧みない狂気とも言える必死さこそが、デクの強さであり危うさであることは後半になるにつれてはっきりとわかってくるのだが、「自分にはもう後がない」という意識に縛られているデクの「余裕のなさ」には鬼気迫るものがあり、物語の設定を超えた生々しさが存在する。
2つの連載が短命に終わった作者の苦境≒無個性のデク?
作者の堀越耕平は『ヒロアカ』の前に『逢魔ヶ刻動物園』(全5巻)と『戦星のバルジ』(全2巻)をジャンプ本誌で連載しているが、どちらも人気作とは言えず、短命に終わっている。「もう後がない」と思った堀越は、読み切りで手応えのあった『僕のヒーロー』の世界観をベースに『ヒロアカ』の連載を立ち上げるのだが、「個性」がないことに悩む冒頭のデクと作者の心情がシンクロしているように感じた。
漫画家にとって「個性」は最大の武器で、初めは自分の「個性」=才能を拠り所に作品を立ち上げる。そこで作品がヒットすれば、作者の「個性」は世間に認められたことになるのだが、失敗すれば「自分には才能がないのではないか?」と絶望の淵に叩き落とされる。
そのため、若い作家が「自分には才能がない」と認めるには想像を絶する覚悟が必要となる。プライドの高い作家なら、ここで筆を折ってしまうかもしれない。
しかし堀越は、どうやってジャンプで戦うのかと悩んだ末に、自分の内側に秘めた才能=「個性」ではなく、自分の外側で育まれてきたジャンプやアメコミが築き上げてきた伝統を継承することで漫画を描こうと考えたのではないだろうか?
デクが自分自身の力ではなく、代々受け継がれてきた先代のヒーローたちの「個性」で戦うヒーローとして登場した背景には、上記のような葛藤と苦渋の決断が作者の中にあったのではないかと思えて仕方がない。
ここで一度「才能だけで戦う」という選択肢を捨てたからこそ『ヒロアカ』は独自の立ち位置を獲得し、才能ある漫画家たちが切磋琢磨する「少年ジャンプ」という舞台で、10年にわたる長期連載となったのだろう。