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「とにかく負けん気が強かった」

 岡田俊哉は野球エリートだ。中学時代はボーイズ関西選抜に選ばれ、DeNAの筒香とともに世界大会に出場した。名門・智弁和歌山高校では1年の春からベンチ入りし、その夏の甲子園で早くもマウンドを踏んでいる。その後も順調に甲子園出場を重ね、名将・高嶋仁監督の秘蔵っ子として、同校としては異例の「絶対的エース」として君臨した。全日本選抜のエースにも選ばれている。

 岡田の性格について、高嶋監督は「とにかく負けん気が強かった」と振り返る。2年の夏の甲子園では「変化球を投げろ」というベンチからのサインに首を振り続けて直球ばかり投げ、1イニングになんと10点取られてノックアウトされている。3年になってからは球速を10キロアップさせ、和歌山県大会を制すると甲子園で3回戦まで進んだ。またしても直球ばかりだったという。異次元の負けん気の強さと言ってもいい。

 岡田は2009年のドラフト会議でドラゴンズの外れ1位として指名を受ける。しかし、彼自身は「とんでもないところに飛び込んでしまった」と思ったという。なにせ、当時のドラゴンズは落合博満監督率いる黄金期であり、円熟期。スタメンには荒木雅博、井端弘和、森野将彦、和田一浩、谷繁元信らが名を連ね、投手陣は吉見一起、チェン・ウェインらが快刀乱麻のピッチングを見せていた。ブルペン陣の岩瀬仁紀、浅尾拓也もフル回転。レジェンド中のレジェンド、山本昌も現役だった。

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 周囲の選手たちの偉大さに圧倒されていた岡田が1軍で頭角を表すのはプロ4年目の2013年のことだ。66試合で7勝5敗2セーブ15ホールド、防御率2.79。途中、先発転向も志すも、再びリリーフとして活躍。2017年のWBC代表メンバーにも選ばれ、これからさらにドラゴンズの勝ちパターンとして活躍が期待されていた折の血行障害だった。誰よりも悔しかったのは岡田自身に違いない。

369日ぶりに一軍のマウンドに戻ってきた ©文藝春秋

「過去の自分なんて、違う自分」

 今でも指先の感覚は完全には戻っていない。「完治はない」とも言う。だから、過去に投げていた球質にもこだわっていない。今は、今、できることを追い求めている。岡田は1軍に上がってきたとき、こう語っていた。「過去の自分なんて、違う自分。できることをひとつひとつやっていかないと」。

 プロ野球選手に限らず、誰にだってダメな時期はある。若手の頃は苦労して当たり前だが、ようやく芽が出てきた20代、仕事の楽しさがわかってきた30代、働き盛りの40代……いつどんなときに落とし穴が待っているかわからない。ケガかもしれない。病気かもしれない。心の問題かもしれない。周囲の環境の問題かもしれない。良かった時期の姿を追い求めすぎてダメになってしまうこともあるだろう。

 それでも、生きているうちはダメなままでいるわけにはいかない。そんなとき、どん底に沈んでいたプロ野球選手が不屈の闘志でカムバックを遂げる姿を目の当たりにすると、心が震えて、腹の底から勇気が湧いてくる。あんな風になれないかもしれないけど、俺だって、私だって、頑張ろうと思う。

 何をしたっていい。モデルチェンジをしてもいい。カッコ悪く、泥臭くあがいたっていい。岡田は持ち前の「負けん気」をリハビリに使った。彼のモットーは「念ずれば花開く」だという。

「どれだけしんどくてもつらくても、必死に努力を重ねれば、最後にきっと花は開くと思っています」

 復活を遂げた岡田について、森繁和監督は「大事なところで使っていく」と断言した。今年のドラゴンズは面白い。新戦力と主力選手たち、そして岡田を含めたカムバック組がうまく噛み合えば、もっと上位だって目指すことだってできる。そして彼らの姿を見て、俺たち、私たちはまた明日も頑張ろうと思うのだ。

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