一方、今井は小学2年生でアクターズスクールに入った。きっかけは、地元・沖縄のテレビ番組の夏休み企画で行われたカラオケ大会に出場したことだ。このときアクターズスクールから安室奈美恵ら何人かの生徒たちがマキノには内緒で出場し、予選を通過して決勝に進んでいた。

今井絵理子 ©文藝春秋

 今井もまた決勝にまで残るが、安室にグランプリをさらわれてしまう。それがよほど悔しかったのか、「絶対にあのお姉ちゃんに勝つんだ!」と島袋と同様に母親に頼み込み、まもなくしてアクターズスクールに入ったのだった(マキノ正幸『沖縄と歌姫』宝島社、2018年)。

新垣と上原は芸能界に入るつもりはなかった

 それ以来、苦労しながらバランス感覚を培ってきた2人をマキノは自信をもって、東京の芸能事務所・ライジングプロダクションに紹介する。同事務所にはすでにアクターズスクール出身の安室やMAXが所属していた。だが、ライジング側からは「2人ではビジュアル的に弱い」と言われてしまう。そこでマキノはさらに自分の生徒から何人か推薦し、そのなかからライジングの平哲夫社長が選んだのが、新垣と上原だった。

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 ただ、こちらの2人はもともと芸能界に入るつもりはなかった。CDデビュー直後の4人のインタビューでも、芸能界に入ろうと思ったきっかけを訊かれ、今井が《ひろこと私は初めからプロを目指してた》と答えたのに対し、新垣は《たかこと私は、歌とダンスが好きだったから、四年前にほとんど趣味感覚で》アクターズスクールに入ったと正直に話していた(『サンデー毎日』1996年10月27日号)。

新垣仁絵 ©文藝春秋

「ファッションを学ぶ予定なので、デビューはできません」

 新垣はもともとファッションデザイナー志望で、アクターズスクールの定期公演で使う衣装は、彼女がすべてデザインしていたほどだった。芸能界デビューに際しても、校長のマキノに「地元でファッションを学ぶ予定なので、デビューはできません」と一旦は断ってきたという(前掲、『沖縄と歌姫』)。

 マキノも彼女の才能は認めており、そこで「将来デザイナーとしてやっていくなら、芸能界ですぐれたファッションやショーをよく見ておくと、すごくいい勉強になる」と説得すると、「そういう方法もあるんですね」と納得してくれたという(マキノ正幸監修『沖縄アクターズスクール公式ガイド』ネスコ、1997年)。