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マキノ氏が「何よりの才能」だと思った“美しさ”

 上原も芸能界入りには相当悩み、《SPEEDとしてデビューが決まりかけたとき、もし私が行けなかったら3人で頑張って、とか言ってたんです(笑)》という(『anan』2003年9月10日号)。悩んだあげく、四柱推命で将来を占ってもらったところ、「チャンスは誰にでもあるものじゃない、やらないで後悔するよりは、思い切ってチャレンジしてもいいんじゃない?」と占い師に言われ、背中を押されたらしい。

上原多香子 ©文藝春秋

 マキノとしては、上原の才能は何より美しさだと思い、「いまはすぐに芽が出ないけど、17、18歳になったら、美人女優としてやっていけるはずだ」と言って芸能界に送り出した。もっとも、デビューから数年後には、こうも書いていた。

《ただ、美しさというのは本人の心がけしだいで、いつ消えてしまうかわからない。美しさとは、維持するのに大変な手間のかかる才能だ。多香子の才能は、芸能界以外でのほうが輝くかもしれないとも思っている。結婚すればきっといいお嫁さんになるのではないか》(マキノ正幸『才能』講談社、1998年)

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デビューには若すぎるという思いもあったが…

 こうして4人によりグループが結成されると、ライジングプロはプロモーションビデオを制作し、安室たちが出演していた『THE夜もヒッパレ』の渡辺弘プロデューサーに見せた。すると「若い層を取り込むためにぜひ番組にレギュラーでほしい」と熱望される(『週刊朝日』1996年10月4日号)。ただ、社長の平のなかでは、彼女たちをデビューさせるには、まだ年齢的に若すぎるという思いがあった。

1998年当時のSPEED ©時事通信社

 それでも番組側から「月イチでもいいから、何とか」と粘りに粘られる。そこで平は、仮にデビューを1~2年遅らせたとしても、本当に4人が売れる保証はどこにもないと考え直し、彼女たちをとりあえず、スポーツでいえば全国大会にチャレンジさせるような意味合いで、テレビ出演を承諾した(『週刊女性』1999年10月26日号)。