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「1週間後にはすべての先輩を差し置いて…」生前のマキノ正幸さん(享年83)が明かしていた安室奈美恵への想い「僕の原点です」

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 安室奈美恵、DA PUMPやSPEED、MAXらを次々と輩出したことで知られる「沖縄アクターズスクール」創業者のマキノ正幸さんが、6月28日に敗血症性ショックで死去していたことがわかった。享年83。

 父は映画監督のマキノ雅弘、母は女優の轟夕起子と、自身も華麗なる芸能一家に生まれたマキノさん。「週刊文春」の人気連載「家の履歴書」では、日本音楽界の一時代を築くまでの半生、そして安室奈美恵との衝撃的な出会いを語っていた。当時の記事を再公開する(初出:2018年12月20日 年齢・肩書等は公開当時のまま)。

マキノ正幸(まきの・まさゆき)/1941(昭和16)年、京都府生まれ。青山学院大学卒業。映画監督の父・マキノ雅弘と女優の母・轟夕起子の間に生まれる。祖父は日本映画の父・マキノ省三。長門裕之、津川雅彦とも血縁がある芸能一家で育つ。沖縄アクターズスクール校長として、安室奈美恵らを育成した。

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運命の地・沖縄と出会い、ライフワークであるスターの育成を手がけ始める

 1971年、30歳のとき、青山学院大学の後輩でもある俳優の渡哲也さんに誘われて、本土復帰前年の沖縄へ初めて渡る。人生の大きな転換点となった。

 テツが「遊びに行こう」って誘うので行っただけなんです。地元の有力者がテツのショーを主催したりして、僕も一緒に遊んでました。毎晩、どんちゃん騒ぎです。

マキノ正幸さん(『沖縄と歌姫』より)

 驚いたのは、地元のヤクザの親分の紹介で水商売の店に行くと、とにかくいい女が出てくるということです。ハーフの子、クォーターの子とかね。東京の銀座にもいないようなとびっきりの子たちばっかり。この子たちで、ちょっと面白いことができるんじゃないかな、って思ったんです。

 つつじヶ丘の家の残りと六本木の店を売り、3億ほど持って沖縄に来たんです。北中城村(きたなかぐすくそん)に米軍将校が住む外人住宅街があって、その中の海が見える家を7000万円のキャッシュで買って住みました。