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「1週間後にはすべての先輩を差し置いて…」生前のマキノ正幸さん(享年83)が明かしていた安室奈美恵への想い「僕の原点です」

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のちに、19歳年下のそのスタッフの女性と再婚。3人の子供に恵まれた。

 バスに乗る金もなくて、アパートからアクターズスクールまで片道40分かけて歩いて通いました。走ったり、鏡の前で裸で踊ったりして、身体にビートを叩きこむメソッドを独自に作り上げていきました。4、5年、仕方なくそんなことをしていましたね。でも、その悪戦苦闘の時期があったからこそ、いまの僕があると思っています。

「安室は確かに僕の原点」「でも、僕だけが育てたというわけでもない」

 87年9月、アクターズスクール出身第一号の歌手としてGWINKOがデビュー。同じ頃、オーディションを受ける友だちの付き添いでアクターズスクールに来ていた一人の女の子に、一瞬で痺れるようなオーラを見て取った。まだ小学5年生の安室奈美恵だった。

安室奈美恵をはじめ数多くのスターを輩出 ©︎文藝春秋

 安室は確かに僕の原点です。僕がいなければスター安室奈美恵はいない、このことだけは自信を持って言える。でも、僕だけが育てたというわけでもないんですよ。安室をスターにしたのは、荻野目洋子を売り出したライジングプロダクション社長の平(たいら)哲夫君です。あんなにタレントを売り出すのが上手な人はいないと思いますね。僕にしかできなかったのは、最初にセンターを決めるというフロント・システムを作ったこと。アクターズスクールに入って1週間後にはすべての先輩を差し置いて安室をセンターに立たせて歌と踊りのレッスンをさせました。センターがいなければブームは作れない。そこまで入れ込んで安室で勝負しようと決めたことがアムラー・ブームを生んだのでしょう。

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 安室奈美恵のほか、多くのアーティストを発掘したが、CD売り上げなどから配分を受け取る印税契約は結んでおらず、ミリオンセラーがいくら生まれても、アクターズスクールが潤うことはなかった。ただし、知名度が上がるにつれて生徒が増え、入学金や授業料の収入によって借金はなくなり、経営も安定した。

 日本の芸能界では金を出すプロダクションが最も強くてすべてを握るんです。いいタレントを発掘しても、僕らには1%も権利や権限がない。だから、僕は、自分で芸能界から撤退したんです。