被害者数12人、中には9歳の女の子も…。己の残忍な欲望を満たすため、12人の若い女性を強姦・殺害したフランスの連続殺人犯、ミシェル・フルニレと、彼に協力した妻のモニク・オリヴィエ。2003年に犯行が明らかになり、逮捕された2人はその後どうなったのか? 新刊『世界の殺人カップル』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む

フランス最悪の殺人鬼であるミシェル・フルニレの妻こと、モニク・オリヴィエ ©getty

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シリアルキラーの最後

 2003年6月25日、ベルギーの都市シネイでマリー・アサンション(同13歳)が登校中の路上で、車に乗る白髪でメガネをかけた男から声をかけられた。自分も学校に行く用事があるのだが、道がわからないので案内してほしいという。不審に思った彼女は学校の方向を指差し、その場を離れようとした。

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 しかし、男はマリーの対応に機嫌を悪くし、「人を疑うんじゃない! 失礼だぞ!」と激昂。その厳格な物言いに圧倒された彼女はつい車に乗ってしまう。彼女の予感は当たり、男はいきなり目の色を変えマリーの体を掴もうとしてきた。必死の抵抗も虚しく、あっという間にロープで縛られ後部座席に放り投げられる。車が急発進し、彼女は恐怖で怯えるよりなかった。

 ところが、拉致現場から10キロ離れた交差点で赤信号により車が停車。その瞬間、マリーは持てる力を出し切って後部座席のドアを蹴り上げ、わずかに開いたドアから転がるように路上に落ちた。決死の脱出に成功した彼女は後続車に助けられ無事に保護される。さらに現場にいた人間が逃走した車のナンバーを覚えており、すぐさま警察に通報。身元を特定された男=ミシェルと妻モニクが逮捕されることになる。

 取り調べでミシェルは頑なに犯行を否定した。が、警察の厳しい追及に、1年後の2004年7月にモニクが全面自供。これを受け、ミシェルも8件の殺害を告白、それに従い3人の遺体が発見された。2006年1月、ミシェルとモニクの身柄はフランスに移される。ここで行われた尋問で、ミシェルが自己中心的で、良心の呵責を感じていないこと、被害者や遺族に対して何の関心も持っていないことなどが判明。

 また、この過程で彼は捜査官に対し「処女の女性と結婚したことがないのが、自分の生活の中で最も絶望的な部分だ」と改めて処女に対する自身の強迫観念を主張する。が、その考えを理解できる者は誰もいなかった。

 裁判は、2008年3月27日から5月28日まで開かれた。ミシェルは黙秘権を行使したが、証人として出廷した彼の兄アンドレが衝撃的な事実を明らかにする。ミシェルが子供のころに母から受けたという性的虐待や父親のアルコール依存症、学校での盗みは全て弟の作り話だというのだ。つまり、ミシェルには後に残虐な殺人を行う背景となったと考えられていた幼少期のトラウマなど一切なかったのである。兄によれば、ミシェルの虚言癖は、それこそ幼年期から始まったという。