日本人も共感できるメキシコの人々の暮らし
ひとつひとつ点描されるのは、なんの飾り気もない、庶民の卑俗な日常だ。それはメキシコ特有の風習や文化に根差しながら、他の国に暮らす人たちにも、決して他人事のようには思えない。
伯母たちは、ソルのパパの治療費について、たびたび不安を口にする。自分たちの手元には、もうお金がないのだ、と。こんなふうに登場人物がお金の話を明け透けにするのは、思いつく限りでは成瀬巳喜男の映画くらいだろう。
本作を監督したリラ・アビレスは、深く影響を受けた監督のひとりとしてジョン・カサヴェテスの名を挙げている。たしかにドキュメンタリー作品のような生々しさで、人々の自然な姿を写しとるところは、どことなくカサヴェテス的かもしれない。
しかし煩わしくも愛おしい家族の日常に寄り添い、そこに生と死を交錯させる手法は、是枝裕和の傑作『歩いても 歩いても』を想起させる。演技経験のない子どもたちを起用し、その作為のない一挙一動を記録したところなどは、カサヴェテス的でもあり、同時にまた是枝的でもある。
とくに主人公ソルの、初々しく、みずみずしい表情は、観る人の胸を打つ大きなポイントだ。
7歳の少女の無垢なまなざしが目の当たりにすること
この作品は第二に、そんな少女の心の移ろいを映す物語として優れている。
ソルはパパとの再会を心待ちにしながら、からだを休めているという理由で、なかなか会うことができない。にぎやかな親類たちに囲まれながら、彼女はひとりぼっちだ。
そんなソルの満たされない心を、大好きな動物や虫たちが癒してくれる。彼女はカタツムリを手に取り、インコと会話し、ハチをしげしげと見つめる。動物や虫たちの存在は、自然との境界を取りはらい、彼女に生命の神秘を教える。
ソルはおじいちゃんのスマホにこう問いかける。「いつ世界が終わるの?」。すると、スマホのAIアシスタント機能は答える。「未来の技術が失敗しなければ、数百万年後、太陽が赤色巨星に変わるとき、地球が滅びるでしょう」。