7歳の少女の無垢なまなざしは、生と死について、いくつかの大事なことを目の当たりにし、そこから吸収していく。もちろん彼女に対し、もっとも多くのことを教え、授けるのはパパだ。
陽が沈み、いよいよパーティーがはじまろうというとき、ソルはようやくパパに会うことができる。すっかりやせ細ったパパは、ソルを「僕のポニョ」と呼び、優しく抱きしめる。
物語は誰の視点からとらえていたのか。少女? それとも……
「ポニョ」とは『崖の上のポニョ』の、あのさかなの子を指し示しているが、それは監督のリラ・アビレスの娘が父から、つまりアビレスの夫から実際に呼ばれていた呼び名だという。
実はアビレスの夫は、娘が7歳だったときに亡くなっている。アビレスはそれ以上のことをつまびらかにはしていないが、ただこの物語が、アビレスとその娘の実体験を多少なりとも反映していることは間違いがない。
と考えると、本作にはまた別の角度から光を当てることができる。
本作の終盤で描かれる、7歳のソルと病に伏したパパの再会――それはもしかしたら最後の交流になるかもしれない――は、果たして誰の視点からとらえられたものなのか? 全編にわたり、主にソルの視点で綴られる物語が、ここでは視点人物を異にしている。つまりこの場面は、ふたりの思い出を記録しようとする人物、“母”の目がとらえた一瞬なのだろう。
物語が幕を閉じたとき、スクリーンに映しだされるのは「A MI HIJA」というスペイン語の文字。訳せば「愛娘に」。これは家族の物語であり、少女の物語であるのと同時に、その姿を記録し、記憶にとどめようとする母の物語でもある。
第三に、これはアビレスにとってきわめてパーソナルで、エモーショナルな物語なのだ。
STORY
ソルは父の誕生日パーティーのため祖父の家を訪ねる。親類たちの輪に入れず、ひとりぼっちで動物や虫たちと戯れる彼女が、父と再会を果たしたときに新たに知るのは――。