皇太子ご夫妻による愛子さまのご教育方針は?
──皇太子ご夫妻による愛子さまのご教育方針については、どうでしょうか。
S記者 お二人は「叱らない子育て」を実践されてきましたよね。皇太子さまと結婚された当初は、国民にとって尊敬と憧れの的だった雅子さまでしたが、2004年5月に皇太子さまが会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」とおっしゃった「人格否定発言」と、同年7月の「適応障害」という診断結果の発表を受けて、国民の見方は大きく変わったと思います。
「雅子さま山中湖お付き添い事件」(2011年)は決定的でした。学習院初等科4年の愛子さまの山中湖校外学習に、雅子さまが同行されたのです。学習院では過去に、子どもが怪我や病気の場合だけ、親が近くの宿で待機するということはあったようですが、雅子さまは、子どもたちと同じ「ホテルマウント富士」の1泊12万円するインペリアルスイートに宿泊された上に、子どもたちが立ち寄る場所にほとんどついて行かれ、青木ヶ原樹海でハイキングもされました。
前週の東宮大夫による定例会見で雅子さまのご動静は明確にされなかったのですが、常識的に考えて「まさか行かれないだろう」と私は信じていました。
ところが産経新聞がウェブ版で、山中湖へご出発されたことを報じて。「これは取材に行かなきゃ」と思い日帰りで山中湖へ向かいましたが、雅子さまは山ガールファッションに身を包まれて、行き交う人々に「こんにちは」とお手振りまでされている。一方、警察関係者や東宮職がわんさかいて、雅子さまの姿を撮影させまいとカメラマンの周りを男性数人で包囲。異常事態でした。
──この校外学習は、東日本大震災が発生してから約半年後のことでした。そのような時局にも関わらず、皇太子妃がインペリアルスイートに宿泊されるというのは常識的に考えられない出費だ、という雅子さまの行動を疑問視する声もあがりました。
河西 一方で、私が皇族の自由やプライバシーはここまでないのか、と驚いたのは「雅子皇太子妃妊娠スクープから流産」(1999年)ですね。確かに皇太子妃が子供を産むというのは大きな出来事なんですが、まだ安定期に入ってもいないのに報道されました。
──朝日新聞のスクープでしたね(「雅子さま 懐妊の兆候」、1999年12月10日)。妊娠のごく初期であることを考慮してか、詳しい「兆候」については言及してしない短い記事でしたが、この後各社が一斉に報じました。
河西 そうでしたね。そして雅子さまの「稽留(けいりゅう)流産」の後、皇室報道はちょっと鳴りを潜めたように思います。
S記者 これは雅子さまが「適応障害」として療養生活に入られる前のことですが、雅子さまにとってはメディアに報じられたくない、子どもを守りたいという「プライバシー意識」を強く持たれるようになった原点ともいえる出来事だと思います。
河西 2000年代に入ると、宮内庁ホームページの「皇室関連報道について」というコーナーで宮内記者会に所属する新聞やテレビ、そして週刊誌などが報じた内容について反論するようになります。