日本側も驚愕
日本側もアメリカ側とほとんど同じぐらい驚いた。見張り員は相手に視認されるほんの数分前に、〈タフィー3〉の姿を地球の丸さが許す最大限の距離で捉えていた。アメリカ側が煙幕を張りだす前でも、視界は理想的とはいえなかった。空は雲でおおわれ、海水面では灰色の霧がたちこめていた。未知の船は南東にマストしか見えず、最初は空母であることがよくわからなかった。大和の艦橋では、きっと日本艦にちがいないという者さえいた。小沢の北方部隊に出くわしたのだろうか?
じきに第二の護衛空母群〈タフィー2〉のマストが南方の海の縁に顔をのぞかせた。距離が近づくと、見張り員には飛行機が発進するのが見え、護衛空母の角張った艦影が水平線上に浮かび上がった。あれはまちがいなく空母で、しかも小沢部隊のではない。だが、どういう型の空母だ? 日本軍はアメリカ海軍が太平洋に小型の補助空母の大部隊を展開させているのを知らなかった。大和艦橋の士官たちは自分たちがきっと第38機動部隊の一部に遭遇したにちがいないと結論づけた。
いずれにせよ、勝利は彼らの手中にあるように思われた。「これは実際、奇跡的だった」と栗田の参謀長小柳冨次はいっている。
「水上艦隊が敵空母群に接近しているところを想像してもらいたい。われわれはこの天佑的戦機を利用すべく進んだ」
彼らの第一の目標は、相手が追撃隊を攻撃するために艦載機を発進させる前に、空母の飛行甲板に追いついて、これを破壊することだった。
戦術的状況から見て、総力を挙げての追撃が必要だった――さらに、もし可能なら、獲物の風上側にまわりこんで、彼らが逃げながら飛行作戦を実施できないようにすることが。
栗田は「全軍突撃セヨ」と命じた。つまり、日本軍の各艦は、艦隊巡航隊形を維持することにこだわらず、それぞれの最大速力で追撃するということだ。午前6時59分、栗田は命じた。「対水上戦闘用意」(訳註:戦闘詳報によれば「近迫敵空母ヲ攻撃セヨ」)習慣と伝統にしたがって、ほかの艦は旗艦が最初の斉射を放つのを待った。大和の15.5センチ副砲がまず火蓋を切り、前部の2基の46センチ主砲塔がすばやくつづいた。