アメリカ生まれの日系二世

 私が、ジャニー喜多川に関心を抱いたのは数年前のことだった。日系アメリカ史を調べていた時、偶然、彼がロサンゼルス生まれの日系二世だと知った。父の名は喜多川諦道(たいどう)。ロサンゼルスの日本人街にあった高野山系寺院の僧侶で、日本人の妻との間に3児をもうけたが、長女が、ジャニーとともに一大芸能事務所を築いたメリー・泰子、末っ子がジョン・ 擴(ひろむ、ジャニーはジョンの愛称)である。

看板が撤去された旧ジャニーズ事務所の本社ビル ©時事通信社

 日系移民の職業としては稀有な僧侶の子2人が、日本の芸能界に君臨した——この異数な組合せは興味深く、私は少しずつリサーチを進めた。性加害については、それ以前に告発本を読んでいたし、いずれ腰を据えて調べたいと考えていた。

 だが、私が喜多川家のアメリカ時代の調査に手間取るうちに、昨春、英公共放送局のBBCが、ジャニーの連続未成年者性加害問題を真正面から扱った『J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル』を放送。その後、事態は急展開し、放送からわずか7カ月後の10月、あれほどの権勢を誇ったジャニーズ事務所の名称がこの世から消えた。

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 藤島ジュリー景子代表取締役(当時)は、事務所の社名と業務内容の変更を発表した際に公開した手紙に、「叔父ジャニー、母メリーが作ったものを閉じていくことが、加害者の親族として、私ができる償い」としたためた上で、「ジャニー喜多川の痕跡を、この世から一切なくしたい」とまで言い切った。

謝罪会見での藤島ジュリー景子代表取締役(当時) ©時事通信社

 彼女のその後の行動には多々疑問が残るが、いずれにしても、血を分けた姪が叔父の「痕跡」を「この世から一切なくしたい」とは尋常一様ではない。いったい、喜多川家という日系アメリカ人一家に何があったのか? ジャニー喜多川、この日本で最も有名な二世はどんな道を歩んできたのか?  

 都内の喫茶店会議室で、大島さんたちにアメリカ時代のジャニーについて尋ねたが、「聞いたことがない」と首を振るばかりだった。ただ、しばらく経って長渡さんだけがこうつぶやいた。

「そういえばジャニーさん、アメリカでは靴磨きさえしたと言っていたな」