芸能界の王として君臨し続けた「ジャニー喜多川」という人物は、そもそも何者なのか。アメリカ在住のノンフィクション作家・柳田由紀子氏の日米徹底取材で見えてきた真実とは……。

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お伽の島でおじさんと

「『僕は幼い頃、お城みたいなところに住んでいたんだよ。そこは親戚が持っていた島で、大きなお屋敷があって、お手伝いさんがいっぱいいて。そのお伽噺に出てくるような島で、僕は、親戚のおじさんからとても愛された。お互いに深く愛しあう日々を送ったんだ』——ジャニーは、確かにそう言いました。ジャニーズ事務所の合宿所に泊まった翌朝、NHKのレッスン場に向かう時だったと思います。首都高を走る車内には、私とジャニーだけ。ジャニーは話しながら、助手席にいた私の手を強く握ってきた。私は、『だから、ユーと僕も、僕とあのおじさんのように長く愛しあっていこうね』と、暗に求められたようで気持ちが沈んだことを憶えています」

 四半世紀前の出来事をこう明かすのは、元ジャニーズJr.の大島幸広さん(39)だ。中学2年時に故ジャニー喜多川にスカウトされた大島さんは、2年後、ジャニーズJr.を辞めるまでの間に、ジャニーから200回以上の性加害を受けたという。

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ギネスに表彰されたジャニー喜多川氏

 今春、私は初めて大島さんに会った。彼が『朝日新聞』(デジタル版、2023年9月7日配信)のインタビューで、ジャニーが未成年の頃、ある男性から「毎日、性的なことをされていた」と、聞いたと語っていたのが心に掛かっていたからだ。場所は、都内の喫茶店会議室。そこには大島さんのほか、やはりジャニーの被害者で元ジャニーズJr.の長渡康二さん(41)と元Kis-My-Ft2の飯田恭平さん(36)も同席していた。

「あの時ジャニーは、うれしそうに話していた。幼児体験によって精神的な傷を受けたとか、そんなふうでは全然なかったです」

 反対に大島さんは、今でも突然、被害時の記憶がフラッシュバックしたり、加害時のジャニーと年格好の似た男性を見ると身体が硬直するなど、後遺症に苦しむ。この4月、長渡さんや飯田さんらと、『1 is 2 many 子どもへの性暴力を根絶するAction Plan』(ワニズアクション)の活動を開始したのも、「自分のような子どもをなくしたい」という願いからだった。

 世界でも最大、最悪級の性犯罪者、ジャニー喜多川。彼の幼児体験はきわめてセンシティブな事柄だし、本人亡き今となっては真偽の確かめようもないが、私は以前、歌手の秋湖太郎さん(本名・秋本勇蔵/80)からも同様の話を聞いていた。

歌手の秋湖太郎氏。代表曲に『平家の祈り』がある。ご自宅で Ⓒ柳田由紀子 

「ジャニーの姉、メリー喜多川が、『弟は子どもの頃、男と関係を持ちながら育った。だから、ジャニーの少年好きはかわいそうな癖、一種の病気なの』と語ったそうです。私はこの話を、元歌手で女優の故・名和純子さんから何度も聞きました」

 名和純子(芸名・眞砂みどり)は、大阪松竹歌劇団(現OSK日本歌劇団)出身。戦後は、歌手興行の名司会者だった夫、太郎と新芸能学院を創設したが、ここに、純子と懇意だった喜多川姉弟も頻繁に出入りしていた。秋さんは16歳で学院生になって以来、名和夫妻とは最期まで親子のような間柄だった。

秋湖太郎氏(左)と故・名和純子氏(右)、橋幸夫氏を囲んで。秋氏は長年、名和夫妻の内弟子だった 写真提供/秋湖太郎氏

 実は、1960年代初め、30代前半のジャニー喜多川は、この学院でも性加害を繰り返していた。複数の生徒から相談を受けた太郎が、本人に問い質したものの全面否定。そこで、「(太郎が)メリーに抗議すると、はじめは“弟にそんな趣味はない”といっていましたが、けっきょく泣き泣き真相を告白したのです」と、ジャーナリストの竹中労に証言している(『タレント帝国』現代書房/68年)。純子の回想は、この時の「告白」に拠ると思われる。