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我慢する生き方は、簡単に否定されるべきものなのでしょうか

 仕事というのは、最初は訳が分からないし楽しくないなかで取り組んでいるうちに、仕組みが分かり、面白くなってくるという経験を重ねながら、人はプロになっていくものなのだと思います。そこには、先輩や上司がいて相性もあって、環境によっては人間関係に苦しむなんてこともあると思いますが、それを我慢した先に、どんな明るさを見出せるのかが重要なテーマだと感じます。尊敬できる上司に巡り合えればそれに越したことは無いですし、仕事の仕方を覚えたら安い給料で働きたくなくなって起業する人もあり、あるいは薄給でも未来を見据えて頑張る人もいておかしくないわけです。

 一方で、後ろ向きな話として、お住まいの地域に「転職しようにも仕事がない」ケースもあれば、ご家族の事情で仕事を辞めるに辞められないという苦労を強いられる人も少なくありません。いまのギャラは決して十分じゃないけど、家族を養うためには我慢する、という生き方は、簡単に否定されるべきものなのでしょうか。家族を守るために少ない小遣いで懸命に生きる人生には「価値がない」と誰かに否定されるほど、誰かに認められたくて生きているのか、という話です。

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我慢し、悩み、考え抜いているからこそ

 すべては、自分の人生をどうコーディネートしたいのか、何を実現したいと思っているのか、守るべきものは何だと考えているのか、自分が「生きている」と実感できる環境は何か――経緯と環境と価値観とスキルで決まってくるものでしょうから、人それぞれの生き方があり、我慢するべきものも違いがあり、多様な生き方があって良いのだと思うわけですよ。私であれ犯罪者であれ上司であれ家族であれ、いろんな人たちの意見も聞きつつ、しかし「やっぱり俺はこういう生き方がいいと思う」と言える人生が最高です。何より、上手くいこうが失敗しようが、納得できるじゃないですか。生まれてきたからには、納得して死にたい。この時代のこの社会で生きてよかったと、その生の軌跡に証を立てながら歩んでいく中に我慢があり、達成があり、喜びも苦しみも、人生で飲み干したビールの泡のように露と消えて、38億年回り続けてきた地球の一部へと返っていくのだと思えればそれでいいのです。

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 我慢しないでやりたい放題している人を見て、あれを「羨ましい」と思うかどうかです。

 我慢し、悩み、考え抜いているからこそ人生なのだ、と自信を持って言えることが人間なのだと思うんですけどね。