早田の戦争に関しての言及は、これが初めてではなかった

 ただ、彼女が戦争に関して言及するのは、これが初めてではない。2017年に出演したテレビ番組。若者の素朴な疑問に答えるコーナーで、当時17歳だった早田は、ジャーナリストの池上彰氏に「なぜ戦争は終わらないのでしょうか?」と質問している。

「幼い頃から卓球漬けだった早田ですが、決して勉強を疎かにはしなかった。遠征で忙しくてテストの点数が悪くなってしまった時には、親に『勉強したい』と申し出たこともあるほどです」(卓球関係者)

 実際、22年のインタビュー(スポンサーの積水化学工業のHPより)でも、

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〈結構勉強が好きだったんです。成績はわりと良い方で、学年で6位とか上位にいました。(得意科目は)数学はあんまり…ですけど社会とか〉

 と語っていた。「社会が得意」なだけあって、先の大戦にも関心があったのだろうか。一方で、こんな説も。地方紙記者が明かす。

「実は早田の祖父は警察OBで、福岡県の警察署で署長まで務めた人。警察官には保守的なタイプも多いし、祖父から戦争の話を聞いて興味を持ったのでは」

「本人の感性よね」

 果たして、“知覧特攻発言”の真相は? 早田の祖父に話を聞いた。

――パリ五輪はご覧に?

「現地にも行った。大変やったっちゃ。もう歳も取っとるき」

――怪我もありましたが。

「そういうのは、全然知らんやったからね。とにかく結果。結果論で良かったんじゃない?」

 笑みをこぼし、質問に答えてくれる祖父。件の発言について尋ねてみると、

「映画や本とかで見たんじゃないのかな」

――おじいさまが戦争の話をされていたのか、と。

「私はしたことない(笑)。本人の感性よね。やっぱり自分がこげして、卓球を何不自由なく出来ているのは恵まれているから。それで行ってみたいっていうね」

――結構、勉強家だとも。

「どうかしらね。周りじゃない? あの子(早田)を取り囲んどる、いろんな人たち。今まで一緒に卓球してきた人に感謝する気持ち。よく、周りの人に感謝って言うやん。大谷(翔平)選手も自分でそうなったわけじゃない。置かれた環境で培われていくものですから」

――そうやって培われた感性から特攻資料館に。

「それしか考えられん。とにかく頭のいい子やね」

特攻隊員の銅像とT-3練習機

――中国の選手がひなさんの発言で、SNSのフォローを外したと報道された。

「捉え方も色んな人がいるから。それは十人十色。たまたま終戦の日に近かったし、一部の人は色々と考えるかもしれない。考え方も含めて言論の自由だから」

――ご自身が、特攻資料館を訪ねたことは?

「私は九州の人間やき、旅行やら行った時に、知覧に寄ったことあるけどね。1回だけ。回っているだけで涙が出てくるよね」

 思わずそう語るのだった。

 早田が帰国会見で口にしたのは、“知覧特攻発言”だけではない。早くもロス五輪への意欲を語っていた。

「本人はもっと卓球を極めたいんじゃない? 自分はまだ残したものがあると思っているんでしょうね。もう私は4年後にはロスには行けないけど(笑)」(同前)

 改めて所属先の日本生命に発言の真意を尋ねると、

「生きていること、卓球ができていることが当たり前ではないことを感じたいという純粋な思いからで、それ以上の意図はございません」

 彼女の戦いは今後も続く。